ラバウル出身のフランシスさんが、大学のフィールド・ワークで
ベトナムとカンボジアを訪問されて来ました。
政治学の修士課程で学ばれていますので、観点もなかなか鋭いお話でした。
私)ベトナムとカンボジアでの研修旅行は、いかがでしたか?
フラン)とっても面白く、学ぶものが多かったですよ。
先ずベトナムですが、行く前に何冊か本も読んで行きました。でも、その本はアメリカ人が書いた、アメリカ側から見たストーリーで、戦争もベトナム側から見ると全然違うんです。
私)そうでしょうねー、具体例とかありますか?
フラン)例えば、アメリカは「ベトナム兵の拠点だけを爆撃した」と言ってますが、実際は何も関係ない普通の村をいくつも爆撃しています。
また、村人達を「兵士達はどこにいる、教えろ!」と言って拷問した事も記録に残っていました。ベトナム兵は地下で活動してましたから、普通の村人達は、どこにいるか本当に知らなかったんです。
私)戦争は一度始まると、予想もできない悲惨な事が起きていくのですね。
フラン)戦争の傷後は深く、ベトナム人は今もアメリカ人が大嫌いのようです。
私はこんな髪型をしていて、肌の色もダークですので、アメリカ人と思ったのでしょうか。
ある日歩いていると、後ろからバイクに乗った男性が来て、聞くんです。
「お前はアメリカ人か?オバマに似ている」とか言うんですよ。
私が、「いいえ、パプア・ニューギニアから来ました」と言うと、去って行きました。(笑)
私)それと似た事は、以前オーストラリアの友人から聞いたことがあります。彼女がベトナムでボーイフレンドと歩いていたら、男性が近寄って来て、「お前達アメリカ人だろ。さっさと国へ帰れ!」と言って、唾を吐き捨てて行ったそうです。
二人とも白人でしたから、アメリカ人だと思って疑わなかったみたいです。
フラン)私もそう思います。
でも、ベトナムは急成長しています。マーケットも多く、とても楽しかったですよ。
私)私も、ベトナム人は昔から賢い、と聞いています。これからも発展を続けて行くことでしょう。
ところで、カンボジアはいかがでしたか?
フラン)まず、最初に驚いたのは経済格差です。
飛行機から見下ろしていて、都市部は照明がたくさん見れましたが、都市部を抜けたとたんに、明かりが全然見えなかったんです。
電気が今だに通ってない所も多いと思いました。
私)私も同じ経験があります。ラオスに行った時ですが、まさにそうでした。
「一体どうしたというのだろう?!」と呟くほど、飛行機が都市部を抜けると暗闇に包まれるんです。
フラン)カンボジアはベトナムと比べると、経済状況に雲泥の差があります。
大きな原因の一つに、通貨があるんです。
カンボジアでは米ドルを、そのまま使っています。庶民も米ドルで買い物しなければいけないので、物価高で大変です。
例えば、普通の野球帽が10米ドル、小さいサイズのピザが8米ドルといった感じです。
貧しい人達は、そんな物とても高くて買えません。高い米ドルをまず手に入れないといけませんから。
私)悲劇ですねー、きっと政治も腐敗していることでしょう。
フラン)その通りです。しかも多くの人達が字も読めませんので、選挙に行っても投票もできないんです!酷いです。
私)本当に過酷な状況ですね。
フラン)カンボジアに行ったら、途端に日本が恋しくなりました。日本での生活は、全てが揃っていて本当に快適です。
こうやって、また日本に帰ってこれて、本当に嬉しいです。
一番恋しかった「トンカツ ラーメン」も、帰ってきてすぐに食べに行きましたよ。2杯食べて満足しました(笑)
私)(笑)それは良かったですねー
私も外国から帰る度に、「日本て本当に便利だなー、恵まれてるなー」と感心してしまいます。
いつまでも、そういう日本であって欲しいものです。
熊本,菊陽町の田舎に住んでいます。 どういうわけか、田舎にありながら、英語スクールを営み、 興味は常に外国にあり、異文化交流が大好きな私です。 出会い、発見、日々感じる事、諸々の発信です。 よろしくお願いします。
2015年9月22日火曜日
2015年9月18日金曜日
この映画は面白い
私は東野圭吾のファンで、代表作は殆ど読んでます。
この映画の原作ももちろん読みましたが、「面白い!!」の一言です。
日本の原発の安全性を浮き彫りにする小説ですが、驚くべきは書かれたのが1995年なのです。
その問題提起は、2013年に起きた実際の原発事故と、恐ろしいぐらいに重なっています。
原発を悪魔にするのは、地震等の自然災害だけではなく、テロや戦争もあるんですね。
今度の安保法案が現実化し、例えばもしも北朝鮮が、アメリカに加担した日本を攻撃しようと思えば、原発を狙ってくるかもですね。
こわーい!!
やはり日本には原発を無くして、戦争放棄して平和路線貫いて欲しいです!
From my garden 栗だ!
WOW、クリが顔を出しています!
今年は台風で若干被害に遭いましたが、たくさんの実をつけてくれました。
でも、後半分ぐらいは、まだまだ収穫できない若さでした
けっこうな数でしたが、食べれたのは約半分でした
★ 焼け栗の皮をいそいそ剥きおれば
程よく焦げた虫転び出づ
みかんも色付くのが楽しみです
2015年9月11日金曜日
庭の古木でランタン
先日の台風で、庭の古い百日紅が折れてしまいました。
これだけの大きさと古さになるには、数十年の星霜に耐えてきたと、木自身が物語っていたと感じていたんですが・・・
残念です。
でも、残りの半分は今も庭で健在ですので、良しとしましょう。
折れた木があまりにも惜しかったので、一部をランタンに再生させました。
いつものことながら、思い描いていたイメージとはかけ離れていますが、
どこか温かみを感じます。
今では私のお気に入りの品となりました(^-^)
2015年8月26日水曜日
2015年8月3日月曜日
夏の美
暑いなかのガーデニングは、確かに大変といえば大変です。
しかし、ちょっと上を見ると、例えばこんな可愛い、幼い栗に出会います。
また、ちょっと横を見ると、「サルのコシカケ」を見つけたりと、
自然のワンダーに触れることができるのは、貴重な瞬間です。
Nature is my wonder
Nature is my home
Nature is my paradise
夏の実り
マイガーデンにはブルーベリーの木が2本あります。
庭のあっちへ引越し、こっちへ引越しさせて、
やっと1箇所に落ち着かせて3年・・・
やっとこんなに大粒の、しかもたくさんの実りをプレゼントしてくれるようになりました!
「石の上にも3年」・・この言葉は人間界だけでなく、自然界にも当てはまる様です。
古人の知恵に改めて敬服してしまいます。
2015年7月29日水曜日
興味深いお話シリーズNo48.~「ラバウル小唄 が繋ぐ人間交流」
先日の「ラバウルの祖父が語った戦争」の集いは、とても心に残るものでした。
実はその時に、もうひとつの意外な事実が明らかになったのでした。
その事実とは・・・
私)フランシスさん、先日の集いは大変お世話になりました。
おかげで「戦後70年」に相応しい、心に残る集いとなり、主催者としても感謝しています。
F)私の方こそ緊張しましたが、生涯の記念になる経験をさせていただきましたし、またとても楽しかったです。
私)それは良かったです。
ところで、打ち合わせの時に、当時盛んに歌われていた「ラバウル小唄」をお聞かせしましたが、「私、この歌知ってます!!」とビックリされてましたね。
F)そうなんですよ!最初は分からなかったんですが、2度3度と聞いているうちに思い出したんですよ。
実は、私の兄はラバウルでプロの歌手でして、ホテルやクラブ等で歌ったり、CDを出したりしているんです。
そのCDのひとつに、この歌を歌ってるのがあるんですよ!
私)そう言われてましたね。そのお兄さんには、お祖父さんが「ラバウル小唄」を教えられたそうですね。
F)そうなんですよ。祖父も、兄が歌がうまかったからでしょうか、よくこの歌を歌って教えてましたよ。
今回、この歌を聞かせてもらって、祖父も兄も完璧な日本語で歌っていると分かりました!
ユーチューブにもアップしてますから、ちょっと聞いてみてください
https://www.youtube.com/watch?v=A10stUBBco0
(お聞きになりたい方は、クリックしてください)
私)(お兄さんの歌を聞きながら・・)
本当ですね!少し変な日本語になっている箇所もありますが、ほぼ完璧ですね!
リズムもアップテンポで踊りたくなる気分です(*´∀`*)
これは、意味も理解して歌われているのでしょうか?
F)いいえ!「さらば ラバウル」というのが「バイ バイ ラバウル」という意味だとしか知りません。後はただ歌っているだけです(^-^)
今度の集いで歌詞を訳していただいたでしょう、それで私も「えー、そんな意味だったんだ」と解った次第です。(笑)
兄にもさっそくメールで意味を伝えておきました。
私)(笑)お役に立てて嬉しいです。
ところで、お祖父さんはこの歌を、きっと日本兵から習われたのでしょう?
F)そうだと思いますよ。
戦争が終わってから日本に帰るまでにある期間がありましたので、現地の村に遊びに来て、現地人と仲良くなった兵士も多かったそうです。きっと私の祖父も、仲良くなった日本兵がいたのでしょう。
私)日本の有名な漫画家に「水木しげる」ていたんですけど、その人もラバウルに一兵卒として送り込まれたんです。
オーストラリアやアメリカとの悲惨な戦いの中にあっても、現地人との交流があったみたいです。
「水木しげる」が書いた「ラバウル戦記」を読んだんですけど、その中にこんな事が書いてありました。
「・・・いよいよ、土人達と別れる時が来た。・・・イカリアン(土人の名前)は『日本に帰ってはいけない。お前この部落の者になれ』と言う。するとみんな『そうだ、そうだ』『お前がここに残るなら、畑も作ってやろう、家も建ててやろう、踊りも見せてやろう』と口々に言ってくれる。・・・」
水木しげるも、本気で残ることを考えたそうですが、結局帰らざるを得なかったそうです。
彼によると、「心の楽園を見た」そうで、「物がなくても楽しい本当の人間の生活を見た」そうです。
F)本当に感動的なお話ですね。そんなにラバウルのことを好きになって下さって、嬉しいです。
私)私も感動しました。戦争という極限状況だから、余計に現地人の優しさが身に沁みたことでしょう。
F)でも、もう戦争は懲り懲りです
私)同感です
実はその時に、もうひとつの意外な事実が明らかになったのでした。
その事実とは・・・
私)フランシスさん、先日の集いは大変お世話になりました。
おかげで「戦後70年」に相応しい、心に残る集いとなり、主催者としても感謝しています。
F)私の方こそ緊張しましたが、生涯の記念になる経験をさせていただきましたし、またとても楽しかったです。
私)それは良かったです。
ところで、打ち合わせの時に、当時盛んに歌われていた「ラバウル小唄」をお聞かせしましたが、「私、この歌知ってます!!」とビックリされてましたね。
F)そうなんですよ!最初は分からなかったんですが、2度3度と聞いているうちに思い出したんですよ。
実は、私の兄はラバウルでプロの歌手でして、ホテルやクラブ等で歌ったり、CDを出したりしているんです。
そのCDのひとつに、この歌を歌ってるのがあるんですよ!
私)そう言われてましたね。そのお兄さんには、お祖父さんが「ラバウル小唄」を教えられたそうですね。
F)そうなんですよ。祖父も、兄が歌がうまかったからでしょうか、よくこの歌を歌って教えてましたよ。
今回、この歌を聞かせてもらって、祖父も兄も完璧な日本語で歌っていると分かりました!
ユーチューブにもアップしてますから、ちょっと聞いてみてください
https://www.youtube.com/watch?v=A10stUBBco0
(お聞きになりたい方は、クリックしてください)
私)(お兄さんの歌を聞きながら・・)
本当ですね!少し変な日本語になっている箇所もありますが、ほぼ完璧ですね!
リズムもアップテンポで踊りたくなる気分です(*´∀`*)
これは、意味も理解して歌われているのでしょうか?
F)いいえ!「さらば ラバウル」というのが「バイ バイ ラバウル」という意味だとしか知りません。後はただ歌っているだけです(^-^)
今度の集いで歌詞を訳していただいたでしょう、それで私も「えー、そんな意味だったんだ」と解った次第です。(笑)
兄にもさっそくメールで意味を伝えておきました。
私)(笑)お役に立てて嬉しいです。
ところで、お祖父さんはこの歌を、きっと日本兵から習われたのでしょう?
F)そうだと思いますよ。
戦争が終わってから日本に帰るまでにある期間がありましたので、現地の村に遊びに来て、現地人と仲良くなった兵士も多かったそうです。きっと私の祖父も、仲良くなった日本兵がいたのでしょう。
私)日本の有名な漫画家に「水木しげる」ていたんですけど、その人もラバウルに一兵卒として送り込まれたんです。
オーストラリアやアメリカとの悲惨な戦いの中にあっても、現地人との交流があったみたいです。
「水木しげる」が書いた「ラバウル戦記」を読んだんですけど、その中にこんな事が書いてありました。
「・・・いよいよ、土人達と別れる時が来た。・・・イカリアン(土人の名前)は『日本に帰ってはいけない。お前この部落の者になれ』と言う。するとみんな『そうだ、そうだ』『お前がここに残るなら、畑も作ってやろう、家も建ててやろう、踊りも見せてやろう』と口々に言ってくれる。・・・」
水木しげるも、本気で残ることを考えたそうですが、結局帰らざるを得なかったそうです。
彼によると、「心の楽園を見た」そうで、「物がなくても楽しい本当の人間の生活を見た」そうです。
F)本当に感動的なお話ですね。そんなにラバウルのことを好きになって下さって、嬉しいです。
私)私も感動しました。戦争という極限状況だから、余計に現地人の優しさが身に沁みたことでしょう。
F)でも、もう戦争は懲り懲りです
私)同感です
森と清流のシンフォニー
長すぎた梅雨は
荒れ狂うばかりの清流を
静寂の森の中に
惜しみなく流す
水と森の悠久のシンフォニー
我にもその清らかさと強さを
分かち与えよ
素晴らしい一日を過ごせたことに感謝、感激!
UTUBEにアップもしてありますhttps://youtu.be/P4_nGXbV0gM
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