2010年12月24日金曜日

イギリスからのメールカード

イギリスの友人から、クリスマスメッセージがメールで届きました。
この浮世絵が添付されていました。日本人の私が見ても、「美しい!」と思わず唸りたくなるほど。やはり、美は国を超え、宗教を超えるのですね。

それは神木ですよ!

これが済まないとお正月はやって来ない我家です。
それは、庭木の剪定なのです。
高齢な庭木も多い庭なので、やはり業者に頼んでいます。気になるのはコスト。毎年数万円はかかってしまうので少し伐採しようかと、その親方に上手に相談したところ、「えっ!その木は神社等にしかないナギですよ!
この家が資産家だった事の象徴ですよ。またその木はモッコクで、松と並ぶ格調高い庭木ですよ。切るのはもったいない!」と上手に誉められ、伐採を諦めたのでした。
戦前はけっこうな地主だったと聞いているが、昔は昔。
でも、銘木を伐採するのも偲びないし、結局はマキやハイズカイブキ等を整理する事にしました。
それらの木達よ、許してね!




 これがモッコクです。庭木の王者とも言われ葉や樹形を楽しみ、松に次いで庭園には欠かせない植木だとか。
これが神聖な木、ナギである。奈良の春日神社、和歌山の熊野速玉神社では巨木があり、御神木となっている。 雄木だと思う。

樹皮は黒褐色で鱗状にはがれる。ほぼ平滑で磨いたかのような特徴ある樹皮である。材は緻密で年輪が不明瞭であるため、彫刻や家具などに利用されるそうだ。

これもナギであるが、雌木のようだ。花は5月頃に咲き、直径10-15mmの丸い種子が付くという。来年から気をつけて観察しようと思う。また、葉も変わっていて、葉脈が平行なのである。当然、横には破りにくく、それも縁起が良い理由かもしれない。
神聖なるこの木ゆえだろうか、葉っぱの香りはこの上なく高貴である。
知らなかった!



2010年12月13日月曜日

興味深いお話(No.18)~コーヒールンバの持つ悲哀~

なかなか進まないスペイン語学習ですが、このところ「歌」を題材にして勉強しています。指導してくださるのはペルー出身のデニスさんです。
先日はとてもポピュラーな「コーヒールンバ」を取り上げて学習しましたが、
意外な裏話を聞くことができましたので、ここに御紹介いたします。

私)この「コーヒールンバ」は、日本でも随分昔から様々な歌手が歌って来てる、とてもポピュラーな曲なんですよ。でも、原語の歌詞とは全然違う内容になっています。

デニス)そうなんですか?日本でもこの曲が人気があるなんて知りませんでした。で、どんな内容になってるんですか?

私)昔、アラブの偉いお坊さんが、失恋した若者に琥珀色したコーヒーを勧めて、元気を出しなさいと言った、そんな内容です。

デニス)え!何でアラブのお坊さんが出て来るんですか?この歌はそんな恋の歌ではなくて、黒人奴隷の悲しい労働歌なんですよ。

私)そうですか。私も労働歌だとは知ってましたが、黒人奴隷の歌だとは知りませんでした。

デニス)この歌を理解するには、スペインの南米植民地支配の歴史を知る必要があると思います。
1492年のコロンブスの新大陸発見以降、いわゆる大航海時代が始まって、スペインは南米の殆どと北米の広範囲な地域を植民地支配するようになり、そこで大規模なプランテーション農業を展開しました。

私)そうですね。スペインはブラジルを除く南米全域と北米のかなりの地域を
  植民地にしてますね。

デニス)そうです。それで、プランテーションの労働力としてアフリカから多くの黒人を買ってきて、奴隷として使ってたんです。他に中国人も奴隷として使われてた様ですが、黒人が圧倒的に多かったようです。

私)そうなんですか。その当時はヨーロッパでは既に奴隷を使う事が普及してたそうですから、南米植民地でも多く使われたことでしょう。でも、中国人もいたとは知りませんでした。

デニス)黒人奴隷は家畜と同じ様に、毎日朝から晩までコーヒープランテーション農場で働かせられました。歌詞の最初の部分にはそれが感じられます。

私) この部分ですね。

   日が暮れて 夜の闇が広がる
   静けさの中 コーヒー農園で再び響く
   古いコーヒー挽きの愛の歌
   無気力な夜を嘆くように
   
デニス)重労働の後にやっと訪れた休息の夜、あたり一面のコーヒーの木が風に吹かれてが微かな音を立てている、それが黒人奴隷には泣いているように響いたのでしょう。その情景が良く感じ取れます。

私) 次の部分には、
    
     ひとつの愛の物語
     ひとつの悲しみ
     黒人奴隷マヌエルは涙を流す
     辛い人生に
     そして一晩中コーヒーを挽く

  とあります。一晩中仕事をさせられたのでしょうか?

デニス)いいえ、そんなことしたら奴隷は死んでしまいますので、夜は休ませてたと思います。これは詩ですから、他の何かを象徴してるんです。
これは、「重労働から解放されたい、コーヒーを挽く臼を投げて壊してしまいたい」、そんな気持ちを代弁していると言われています。
何度も繰り返されてる事が一段と悲しみを深めていますね。

私) 本当ですね、隠されたメッセージを汲み取って読んでみると、深い悲しみがジーンと伝わってきます。  でも、メロディ自体はとっても陽気ですよね。
とても悲しい曲のようには聞こえませんね。

デニス)そうですね。 たくさんの黒人奴隷が南米に連れられて来て、
彼等の文化がラテンとミックスされたんですが、この歌は特にアフリカのリズムを色濃く残していると思います。

私)そうですね。私もアフリカに行った事があって、アフリカ人と一緒にドラムを叩いて楽しんだ事があったんですが、本当に陽気な力強いリズムでした。
このコーヒールンバには、そのアフリカのリズムも確かに感じられますね。

悲哀を帯びた詩に、陽気なリズム。 ますますこの歌が気に入りました。


【終わり】

イメージチェンジ

我家の縁側は広くて、一間半もあるんです。
年数が経つとともにフロア面が古くなり、あまりコストをかけない方法で
、何がしかの手を入れたいと思ってました。
色々考えた末、「フロア畳」を敷く事にしました。
敷いた途端に、ひろーいお部屋がもう一つ出来た感じで、大満足。
隣のお座敷の障子を全部開けると、10畳がプラスされた事になり、
爽快感抜群です。



         冬は陽射しが奥まで入り温室のように暖か、

       夏は陽射しは全く入らず、風通しが良くて涼しい! 

        日本建築の知恵か?

        古い火縄銃も飾っているので、外国人客には人気です

表彰状

今度、社会福祉協議会の評議委員を交代することにしました。
全然自覚してませんでしたが、いつのまにか7年半も役員をしてたそうです。
それで、表彰状をいただきました。
私は「男女共同参画社会」の分野の代表と言う事でしたので、その分野に
貢献したとの主旨でした。
英語をやってる関係で、どうしても他先進国に比べた日本女性の地位の低さを認識せざるをえません。
より良い日本女性の置かれたに環境改善に、微力たりとも貢献できた事は大きな喜びでした。



じゃがいもの収穫

ワー、大きい!
始めてチャレンジしたジャガイモ栽培が、こんな収穫をもたらしてくれました。
掘る時は本当にエキサイティング!
秋から植えつける野菜は、草取りの手間が入りませんので楽ちんです。
それも気に入っている点ですが、残念な事に少々水っぽいです。
きっと、水のやり過ぎなのでは。



2010年12月3日金曜日

シリアからのお土産

ナズムルさんがシリアにちょっと里帰りをされました。
お姉さまにお子様が誕生されたとの事で、おめでたい里帰りだったようです。
思いもかけず、お土産をいただきました。
純粋なローズウオーターとローリエです。
日本ではとても高いローズウオーターをこんなにたくさん戴いて、本当に嬉しいです。
蓋を開けるとほのかなバラの香りに包まれました。
シリアでは食用に使うのが主流だそうです。
ローリエをお風呂に使うそうですから、日本とちょっと逆の感じですね。

とにかく色々と楽しめそうで、心ときめいています。

白い花びらが落ちて…

これも私のお気に入りの老木です。
山茶花だとは思いますが、少し変わっています。
花びらが大きくて、深い緑の苔の上に落ちると、緑と白のコントラストが
実に美しいのです。
また円形に剪定してありますので、落ちた花弁も円形になっているんです。
この家の先人達も、この美しさを楽しむために、この木をここに植えたのでしょうか?
丸く散った白い花弁が、深遠なる気持にさせてくれる一瞬です。


秋の菊地渓谷

やっと車の免許が取れたナズムルさんは、「どこへでも行きたい」モードなのです。しかし、今までがどこにも遠出をした事が無く、「どこへ行ったら良いか解からない」状態です。
そこで、「もしも宜しければ御同行願えますか」との、美しい家族愛のほとばしるお願いに、ついつい「YES]と答えてしまった私でした。
まず、秋たけなわの菊地渓谷へ御案内しました。
あいにく紅葉には少し遅すぎましたが、「お出かけ」自体が楽しいらしく、
奥さんも娘さんもとても楽しまれていた御様子でした。
次回はどこへ御一緒しようかな?





2010年11月23日火曜日

裏の花道

これは裏口の風景です。
数年前のある日、行きつけのゴルフ練習場からいただいた花がこんなにも増えました。
名前は解かりませんが、草除けのグラウンドカバーとしては最高です。
ピンクの小花の絨毯が来訪者の目を楽しませてくれます。




2010年11月8日月曜日

興味深いお話(No.17) ~ペルー政府は日系人を密かにかくまった~

橋田壽賀子脚本の「99年の愛~ジャパニーズ アメリカンズ~」を御覧になった方も多いことでしょう。本当に凄い、感動的なドラマでしたね。私は残念ながら第3話からしか見てないんですが、それでもすっかり感動してしまいました。
ふとした事で、そのドラマの事をペルー出身のデニスさんとお話してましたら、意外な事実が浮かび上がりました!
ここにそれを紹介させていただきます。

デニス)(私のパソコンの不具合をチェックしながら…)あ、オープンオフィスをインストールされたんですね。

私)えー、5年前に菊陽町にいた日系アメリカ人のALT(アシスタント英語講師)に、彼の曾おばあさんと、おばあさんの日系移民としての体験談を書いてもらってたんです。今度それをまとめて、PDFでアップしたもんですから。

デニス)日系移民と言えば、最近テレビでドラマがありましたね。

私)えっ、あなたも見たの!?

デニス)辞書を片手に見ましたよ。特に日系人だけで作られた戦闘部隊、442部隊の事は有名な話ですから、とても面白かったです。

私)へー、442戦闘部隊の事を知ってたの!?

デニス)もちろんですよ!世界的に有名な話ですよ。特に私は、英語教師コースを取ってた時に教科書に載ってましたので、授業でもお話がありました。
私達はPurple Heart Battalion(名誉戦傷戦闘団)と呼んでいます。

私)そうなの! そんなに良く知られてるなんて知らなかった。日本では知ってる人の方が少ないと思いますよ。私もそのALTの手記を訳した時に出できたんだけど、すっかり忘れてました。今度のテレビドラマで、改めて良く知る事が出来ました。

デニス)えっ、どうして肝心の日本人が知らないんですか?お母様達の世代は御存知なのでは?

私)私の親達は元より、親と同世代の方からその部隊の事を聞いたことはなかったと思います。

デニス)そうなんですか!どうしてでしょうね?  アメリカのスミソニアン博物館の「J」のコーナーには、その442部隊に関する本が、本棚の棚ひとつを埋め尽くしてますよ。私もそこに行って、何冊か読んだことがあります。

私)へー、すごいですねー!

デニス)「ノルマンディ作戦」と言うのは御存知でしょう? その作戦で、先頭を切って上陸して戦ったのも、その部隊だったんですよ。映画「D DAY」とかでも、その話は出てきますよ。

私) とても勇敢だったんですね。テレビドラマでもありましたが、自分の生まれた国アメリカへの忠誠心を示す事で、日系人への差別と戦いたかった、と同時に「大和魂」を見せて日本人の評価を高めたかったのでしょう。

デニス)日米戦争が始まってから、北米に住む日系人や日系移民の方達が何十万人と、収容所に隔離されたんですが、実はブラジルやペルー等の南米諸国にいる 日本人も隔離されようとしたんです。アメリカ政府が日系人を差し出すように、南米各国に要請したそうです。
ペルー政府は日本からの移民に何の恨みもありませんし、かなりの数の日系移民が良く働いて、ペルー社会に貢献してましたので、全員をアメリカに内緒で隠したんです。

私)そうなんですか! それで、どこにかくまったんですか?

デニス)それこそクスコのような、山奥の町や村に行かせたんです。今と違って昔は、そういう所へは誰でも簡単に行けませんでしたからね。
アメリカ政府の手もそこまでは及ばなかったようです。

私)そんなお話を聞くと、私も日本人の一人として、「ありがとう」と言いたくなりますよ。

デニス)私の父がよく言ってたんですが、子供の頃のある時期に、急に日本人が多くなったそうです。子供だったので理由は解からなかったようですが、ちょうどその頃が、日本人が隠れるために、父の住んでた村に大勢やって来たんでしょうね。

私)今日は歴史の表舞台に出ないお話を聞かせていただいたように思います、本当にありがとうございました。

*5年前にメールマガジンで発行してました、「日系移民の裏話」に興味のある方はこちらをどうぞ。
http://www25.tok2.com/home/milkeigo2/imin/nikkeiiminurabanashi.pdf

2010年10月31日日曜日

ハロウイン パーティ

ここ数年ですっかり定着して来た感のする、ハロウインです。
私のスクールでも、この時期の恒例となりました。
数年前までは手作りの簡単なコスチュームが主流でしたが、今では様々な可愛い物が売られていますので、子供達の装いもバージョンアップ!
車から出て来ると、「可愛いねー!」と賞賛の声があちこちから上がります。
今年は隣家2軒にもお邪魔できるように手配しましたので、けっこう手応えあるパーティとなりました。来年は3軒にお願いする予定です。
ちなみに私は、「インド女性」に変装したつもりですが、今一でした。
来年は何に変装しようかなーー。

























































2010年10月11日月曜日

ミゲルコンサート





ペルーから帰国して初めての本格的コンサートを開いたミゲルです。
伝統楽器の迫力ある演奏はさすがでした。


「コーヒールンバ」や「ベサメムチョ」等のポピュラーな曲も数多く演奏され、
思わず体がリズムに乗ってスイングしてしまいました。
娘さんの伝統衣装とダンスも華を添えてました。


折りしも、国際交流会館では国際的なイベントが開催されてました。
そこで、偶然出くわしたインド出身の友人夫婦は、バッチリと日本の着物で
決めていました。なかなか似合ってましたよ。














ミゲルの娘さん達によるペルーの踊りです。動画をどうぞ!



2010年10月6日水曜日

銀木犀の老木

「ここは良い香りがしますねー」と、我家の庭に行ったとたんに、皆さんからこの言葉がこぼれます。
それは、この2本の大きな銀木犀のおかげなのです。
特に、木が空洞化しているこの木は年齢不詳で、たぶん200年ぐらいはあるだろうと言われています。
今年も見事に華を付けてくれました。
ポトン、ポトンと落ちる華の下に佇んでいると、どこか聖なる霊気さえ感じてしまいます。






2010年10月4日月曜日

ロアッソの勝ち!

陽町は大企業もいくつかあるせいか、財政事情は割りと良いようです。
そのせいかどうかは解かりませんが、時々サッカー観戦の無料チケットが配布されるんです!
今回も、そのチケットをいただいてロアッソを応援して来ました。普段はサッカー等はあまり関心が無いほうなのですが、生で見るプロの試合は迫力満点でした!!
J1昇格はまだ無理のようですが、そのうちにきっと実現できるでしょう。

ちなみに子供の頃、私の英語の生徒であった「矢野大輔」君も、背番号16番で頑張ってました。
地域の誇り、町の誇り、私の誇り、である大輔君、ファイト!!
一緒に行ったペルー出身のピラルさんと娘さんも、大興奮のようでした。
それにしても、ピラルさんはサッカーに詳しく、やはり南米の人に取っては
サッカーは欠かせない物だなぁ、と感心してしまいました。
下の動画もお楽しみください

2010年9月27日月曜日

コスモス満開

秋深まり行くこの頃です。
特に今日のような小雨模様は格別です。
我家のコスモスも美しく咲いてくれました。古い土蔵とはグッドマッチ!
近くを歩くと、虫の声が辺り一面にこだまして、自然の懐に抱かれる感じがします。
私のオリジナルな癒しの場なのです。



2010年9月18日土曜日

お帰りなさい

ペルーに帰国していたピラルさんが,帰って来ました。
今度は二人の子供さんも一緒です。
子供さんが日本語が出来ないのが、一番の心配事のようです。
でも、子供は語学の天才ですからね。
きっと大丈夫でしょう。
また、私のスペイン語の相手もしてね。
色々と、一緒に楽しみましょう。
先ずは10日のサッカー観戦かな。
楽しみでーす


2010年9月12日日曜日

興味深いお話(No.15) ~ラマダン(イスラム教の断食)~

9月10日はイスラム教徒にとって、心待ちにしていたお祭りの日でした。一ヶ月にも及ぶ断食の期間が終わったのです。この日は世界中のイスラム教徒達が、それぞれの地でお祝いし、沸き返りました。
このラマダン(断食)について、宗教的意味等も含めまして、パレスチナ出身のヤセルさんにお話を伺いました。(9月8日の会話です)

私)今年の夏は異常な暑さが続いていますので、ラマダンも本当に大変ですね。太陽が昇っている間は、一切の飲食が禁じられるんでしょう?

ヤセル)そうです。朝はだいたい午前4時位から夕方は6時位まで、水も飲みません。でも、子供とか、病人とか、妊婦とかは断食しなくてもいいでんす。日本では皆さんから、「大変ですね、大丈夫ですか?」とか心配して尋ねられますが、私達にとってはとても大事な宗教儀式ですから、大変とかは全然ありませんよ。むしろ崇高な気持ちになって、意識も高揚し、脳も活性化している感じがします。

私)そうなんですねー。でも、そもそもこのラマダンと言うのは、宗教的に言ってどういう意味があるのでしょうか?

ヤセル)とても大切な二つの意味があると思います。ひとつは、人間の欲望をコントロールする意思の強さを養う事、もうひとつは、貧しくて食べ物も無い人達の苦しみや気持ちを体験的に感じる事です。

私)やはり、深い意味があるんですね。ところで、このラマダンは年に一回なのでしょうか?

ヤセル)この時期のラマダンはイスラム教徒でしたら、絶対のやらないといけない義務ですので全員が行いますが、あとは個人で決めて自発的にやる断食もあります。年に一回する人、数回する人と色々です。

私)熱心な信者はきっと何回も実践するんでしょうね。
  それで、このラマダンが明けるのは、今年はいつなんでしょうか?

ヤセル)それは月に寄るんです。新月の光が指した夜の翌朝がラマダン明けとなります。今年は明日(9日)か明後日(10日)となる予定です。私も息子と一緒に毎晩、月をチェックしに出かけてますよ。(笑)

私)そうなんですか、息子さんとの絆も強まる事でしょう! ラマダンが明けたら盛大にお祝いをされるんでしょう?

ヤセル)はい。まずラマダンが明けた朝は、早くから皆でお祈りを捧げに行きます。

私)モスクに行かれるんですか?

ヤセル)いいえ、普通は街中の広場とか公園とかに集ってお祈りをします。これは男性も女性も子供も一緒にお祈りをするんです。

私)そうなんですか。

ヤセル)そして、その後はそこでお御馳走をいただいたり、子供達は広場で自由に遊んだりと、楽しく過ごします。

私)厳しい修行の後だけに、さぞ楽しいでしょうね。

ヤセル)そうですね。修行をやり遂げたと言う達成感もあります。また、その日は家族や親類が集う日でもあるんです。お互いに訪問しあって、喜びを分かち合います。また、ふつうは男性は女性に、女性は子供達に贈り物をします。
ほとんどのケースは「お金」をあげます。

私)日本も贈り物として、「お金」をあげるケースは多いので、それはよく理解できますよ。

ヤセル)そうですか。また、この日にしないといけない、とても大事な事があるんです。それは、貧しい人達にお金を寄付をするんです。これはラマダンと同じで、イスラム教徒は皆しないといけません。

私)どれぐらい寄付するんでしょうか?

ヤセル)だいたい年収の2.5%が基準となっています。例えば年収100万円の人は2万5千円を寄付するんです。無理のない額でしょう?

私)強制的な寄付というのは、欲深い私にはちょっとできそうにもありませんね。(笑) 今日はイスラム教が少し身近に感じられた気がしました。
ありがとうございました。

日本ではラマダン明けの儀式は10日の朝に行われました。熊本でも多数のイスラム教徒の方達が、子飼の公園に集って盛大にお祝いされました。
私も興味がありましたので、ちょっと行って来ました。
10日のブログに載せております。
興味のある方は御覧くださいませ。

2010年9月10日金曜日

ラマダン明け

神聖なイスラムの儀式のひとつに、「ラマダン」があります。
約一ヶ月の間、太陽が昇っている間は一切の飲食が禁止されるのです。そのラマダンが、9月10日にやっと明けました。
世界各国で、盛大なお祝いが行われます。
ここ熊本でも、公園に集って、たくさんのご馳走で盛大なお祝いが催されました。私のスクールで教えているヤセルさんも、敬虔なイスラム教徒です。御丁寧な御招待をいただきましたので、さっそく出かけて来ました。

      伝統衣装で華やぐ会場
     男性も伝統衣装でお祝いです

     この女性達はマレーシア出身です。他にも約6カ国の人達が集り、とても国際的な雰囲気でした。

     子供も伝統衣装でお祝いです。


ヤセルさんの奥さんと、末の娘さんです。可愛い!!



普段のヤセルさんのイメージとはだいぶ違います。伝統衣装はやはり良いですね。

ヤセルさんの上の娘さんです。日本語も流暢な小学生です。


やはり、こういう時は浴衣でも着て来るべきでした。









2010年9月5日日曜日

明日はゴルフ!

明日は久しぶりのゴルフです。
とうとう練習場に行く機会を逸してしまったので、我家の庭でアプローチの
練習を少しする事にしました。
折りしも、夫が今朝刈り込んだ芝生は本当に柔らかく、美しく、思わず手で撫でてしまいました。
また、昨夜の夕立で「アイゼンカツラ」が、再度美しく華を蘇らせてくれました。

今日あった良い事がひとつ増えました。

2010年9月4日土曜日

日韓交流 with ハーモニカ隊

先日、シニアネットのハーモニカ隊の皆様と一緒に、日韓交流を楽しみました。

素晴らしいハーモニカの演奏は、「音楽に国境は無い」事を再認識させてくれました。

皆様、ありがとうございました。

詳細はHPを御覧ください。

また、ここに韓国の歌の演奏の一部を動画でご紹介させていただきます。

(たった2曲だけで、すみません)

韓国民謡 アリラン

超有名な「釜山港へ帰れ」  

ちなみに、これを歌ったイーヨンピルはウー先生の高校の先輩だそうです。

2010年8月28日土曜日

興味深いお話し(No.14)~夏休みは3ヶ月!~

熊本では8月26日が始業式の学校が増え、最近は子供達の夏休みも少し短くなってるようです。
たまたま授業に来ていたムハマドさんにその事を伝えましたら、夏休みの長さから意外な面が見出される会話となりました。
その一部をお伝えします。

私)小学校は今日から始まったみたいよ。

ムハマド)えっ、9月からじゃないんですか?だいたい子供達の夏休みってどれぐらいなんですか?

私)大体40日ぐらいだけど、最近は少し短くなってるみたいよ。

ムハマドどうしてですか?

私)カリキュラムが変わり、授業数が増えてるみたいだし、ちょっと消化不良気味なのでは?
  シリアでは、子供達の夏休みってどれぐらいなの?

ムハマド)私が子供の時は3ヵ月半でしたよ。今は3ヶ月になってて子供達は   「短くなった」と残念がってます。親達にとっては都合が良いようですが。(笑)

私)3ヶ月!長いですねー!で、子供達はどうやって過ごすの?

ムハマド)私はよくおばあちゃんの家にずっと滞在してました。大きな農園がありましたので、そこで従兄弟達と遊んだり、農作業を手伝いながら、おばあちゃんから色々な事を教えてもらいました。とても楽しかったです。

私)日本の子供達は夏休みでもラジオ体操があったり、登校日があったりしますが、そんな事はないんでしょう?

ムハマド)学校は完全に閉まりますから、そんな事は全くありませんね。先生も完全休みに入ります。私には日本の子供達はちょっと可愛そうに思えます。でも、親達にとっては、それはありがたいでしょうね。

私)シリアは今まで他ヨーロッパ諸国から支配されて来たから、学校制度もどこか他の国の制度なの?

ムハマド)そうですよ。シリアは1920年から46年までフランスに支配されてまして、その時の学校制度が今でも使われているんです。

私)と言う事は、フランスでも夏休みは3ヶ月位だという事よね。

ムハマド)そうですね。ヨーロッパ諸国はだいたい似ていると思いますよ。

私)そうよね。それで、大人達はどれぐらいの夏休みが取れるの?

ムハマド)会社に入って5年ぐらいは平均して2週間ぐらいです。5年を過ぎると、3週間になります。10年を過ぎると、一ヶ月となります。私の妻が今イラクから休みを取って来ていますが、高校の教師で、2ヶ月の休みを取って来ています。

私)凄いねー!日本ではそんなに休みを取ったら、その職場には帰れない感じよ。やはり、そちらでは転職が当たり前だから、優秀な労働者を長く引き止める策とも言えるわけでしょう?

ムハマド)そうですね。でも、日本の会社員の方達は見ていて気の毒に感じる事が多いですよ。今年は「お盆休みは無かった」という人も何人も知ってますよ。また残業手当も付かないのに、夜遅くまで働いている人も普通ですね。外国人の友人ですが、熊本のある会社で働いています。自分は5時には仕事を終わらせるのに、他の人達が誰も帰ろうとしないし、「帰って良いですか?」とか尋ねると、「君は一体ここに何しに来てるの?」とか言われるような感じだそうで、凄くストレスが溜まってるそうです。

私)そうでしょうね。日本では今は、「仕事があるだけで幸運だ」のような傾向性が強いですからね。でも、子供の時から自由時間も少なく勉強し、大人になってからは全てを仕事に捧げるように働いても、「日本の将来は危ない」とか言われてるんだから、本当に「どこかがおかしい」よね。またフランスを例にとっても、大人も子供もそんなに長い休暇を取って遊んでるのに、国自体はけっこう良くやってるし、シリアもまあ大丈夫みたいだし…

ムハマド)そうですね。日本のGDPが世界第2位(今年から第3位)の様に、決して物質的には豊かではありませんが、皆けっこう楽しくやってますよ。
5時になると皆帰りますし、土日はまず働きませんし…
また日本で気の毒に思うのは、自殺者が毎年3万人を超えてると言う事です。

私)そうね…文化的な事情はあっても、もっと一人一人が豊かな、楽しめる生活ができる経済大国であって欲しいよね!でも、「数年後は経済破綻する」とか言うシュミレーションを載せる経済紙もある位だから、ちょっと国には期待できないな。この上は、自分で自分の生活の質を上げるしかないのかな?

2010年8月19日木曜日

興味深いお話No.13 ~大学院で「オール イングリッシュの講義」は?~

ミゲルの後にスペイン語の講座を担当してもらう事になったデニスは、ペルー出身です。
目上の人に対する表現もけっこうあるスペイン語のせいなのか、デニスもとてもマナーが良く、好印象を持たせてくれます。
頓挫していた私のスペイン語学習も、思い切って再開することにしました。
レッスンの合間の面白い会話をご紹介いたします。

デニス)私は今、大学院の博士課程で学んでいますが、M先生はとてもユニークなんですよ。

私)そうですか。どんな風にユニークなんですか?

デニス)講義を全て英語でされるんです。私達外国人留学生にはとても助かります。
     6年前に熊大の修士課程に入ったんですが、その時にトライアル クラス(体験講義)があってたんです。私は興味のあった、「大脳生理学」を取ったんです。私が初めて講義室に入るや否や、それまで日本語でされていた講義を、英語に切り替えられたんです! 私も驚きましたが、他の大勢いた日本人学生もとても驚いたと思いますよ。

私)それは日本人学生はさぞ戸惑ったことでしょう。で、その後もずっと英語で講義をされたんですか?

デニス)そうです。結局、そのオールイングリッシュの講義に申し込んだ日本人は誰もいなくて、最終的に私一人だけの講義となりました!

私) へー、大学院は生徒一人でも講義が開けるんですね。一対一の講義はどうでしたか?

デニス)もう、最高でした! 「今日はこれまで」とかで早く終わったりとか、時間がオーバーするほどじっくり講義をしてもらったこともあったりで、先生の素晴らしい英語で、充実した「学び」を持つことができました。

私)それは良かったですね。 でも、日本人学生もオールイングリッシュの講義を敬遠するようでは、
  先が思いやられますよね!グローバル化は避けられない日本なのに...私の英語スクールにも
「仕事で英語が必要になりました」と言って来られる会社員が、このところ急に増えてますからね。
大学院レベルになれば、英語で学問を理解できる程の英語力は必須となるのは目に見えてますよね。

デニス)本当にそうです。学会は世界各国で開かれますし、全て英語が公用語ですから、内容を理解できる英語力はどうしても必要です。また、英語で意見を言えるようになったほうがいいですよ。日本人参加者は黙ってる人が多いですから。

私)学問だけに限らず、「日本人が何を考えているのか知りたい」とは時々耳にしますので、
  豊かな芸術文化を持った国の優秀な若者として、これからの大学や大学院生には英語で自己表現できるぐらいにはなって欲しいですね。

デニス)そうですね。英語を敬遠してる場合じゃないですよ。

2010年8月7日土曜日

風を見る


写真では良く伝わりませんが、家のキッチンから見える裏の田んぼです。
灼熱の太陽に輝く稲が、涼風に揺れるのを見るのが私の楽しみです。
全てを忘れさせてくれる美しさなのです。

風に心を移入してしまう私は、やはり日本人だと実感もさせられるひと時です。



ペアカップ

" This is for you & your husband."
と言ってミゲルが差し出したのは、このペアカップでした。
「お別れの記念に何か」と思ったのでしょう、なかなか感心な事でした。
この可愛いデザインはすっかり私のお気に入りとなりました。
これでエスプレッソをいただきましょう...でも、夫は濃いコーヒーは嫌いなんです!

結局はお客様用となりそうです。



2010年8月1日日曜日

興味深いお話(12) ~アメリカの仕事事情~

アメリカ帰国を10日後に控えたミゲルの一番の懸念は、仕事のようです。
既に公務員の仕事は見つかっている様ですが、あまり気乗りがしないようです。
アメリカの仕事事情が垣間見える会話を御紹介します。

私)いよいよもうすぐね!

ミゲル)ええ…嬉しいような寂しいような複雑な気持ちです。帰ってからの仕事が心配です。
    でも、両親が自分たちが以前住んでたマンションを提供してくれましたので、どうやらホームレスには成らなくてよいみたいです。(笑)

私)それは良かったですね。(笑)アメリカも日本のように、経済は上向きになってきたけど失業率はまだ高いんでしょう?

ミゲル)そうなんですよ。 私の大学の同級生では、スターバックスでアルバイトをしてる者もいますよ!私は帰ったら公務員の仕事は決まってるんですが、公務員は退屈ですし、給料は低いし、 いつリストラに合うか解かりませんから、嫌いなんです。

私) 他の先進諸国もその傾向はあるようね。私もイギリスやアメリカのお役所の建物が粗末なのには本当に驚いたわ。日本ではお役所の建物は立派なのがドーンと建ってるでしょ?
  ミゲルのケースが日本だったら、「公務員になれて良かったね」と言うところよね。日本の公務員は給料は良いし、 職を追われる事はほとんど無いと思う。 今でも、成りたい職業のトップを争ってるんじないかしら。

ミゲル)それはアメリカとはだいぶ違いますね。
     またアメリカでは、「大学卒」の学歴の価値が低下しているんです。大学院の修士課程や博士課程を出てくる人がドンドン増えてますし、そう言う人達と競合して行かないといけないので厳しいですよ。僕も大学院に行く事も考えています。

私) アメリカでは働きながら大学院に行くのは、普通なんでしょう?

ミゲル)そうですよ。大学院は殆どが夜間コースですし、
     またインターネットを利用した大学院も多いです。

私) でもミゲルはまだ若いんだから、その点は良い仕事を見つけるのに有利にならないの?

ミゲル) えっ、それは逆ですよ!アメリカでは経験を積んだ40代、50代が評価されますので、経験の浅い20代、30代は、良い仕事を見つけるのは容易ではありません。
     また定年も65歳ですから、50代ぐらいまではネクストチャンスがありますよ。

私)日本とは本当に逆よね。 日本の場合は30を超えると、だんだん良い仕事のチャンスが減ると聞いてるよ。

ミゲル)そのようですね。 国によって雇用形態は変わりますからね。

私)でも、日本も「歳を重ねる事はマイナスだけではない」と思えるような社会になって欲しいと思う。

ミゲル)そうですね。

私)とにかく優秀なあなただから、きっと輝かしい未来を開いていく事でしょう。 GOOD LUCK !!

キューバ料理でミゲルとお別れ

約2年間、本当に良く私の英語スクールのために働いてくれたミゲルです。
御礼の意味を込めて、「キューバ料理でお別れの会」を催しました。
集まってくれたのは、やはりミゲルの生徒達が中心でした。
文化は違っても、考え方は違っても、言語は違っても、温かい心は人の心に流れ込むことを証明した
集いとなりました。


普段から料理をしているだけあって、慣れた手付きです。後ろに見えるのは、新しい先生のヤセルです。
シリア出身のムハマドも、冗談連発で自分自身が一番楽しそうでした。

「ビールをそんなに入れるの!?」
キューバの人気メニュー、「コンポヨ」は、ビールでお米を煮込むんです。


今夜のパーティのためにエレガントな装いの奥さんのリサです。
原水駅でミゲルとリサを拾いましたが、駅の階段を下りる時にミゲルがサッと降りて、後からゆっくり降りて来るリサに手を差し出して、階段を下りる手助けをしてました。そして、私の車のドアを開けてあげたのです!
" Thank you, baby."
と、クールに答えるリサの姿に、「いいなぁ!」と思ってしまいました。
どんなに教育しても、私の夫はここまでは無理のようです。(笑)


これも、キューバではよく食べるそうです。バナナの丸焼きです。



予定を大幅に遅れて、やっと出来上がった「コンポヨ」です。あたりは、おいしそうな香りで一杯です。




ケーキも飲み物も奮発しました。
ムハマドはシリア料理、ヤセルはレバノン料理とを一品ずつ持って来てくれて、国際性が高まった食卓でした。





「いただきまーす!」
8時を過ぎて、やっと食べれたご馳走でした。お腹がすいた皆さんもは、「おししいね!」の連発でした。


食べるのもひと段落した頃、木村さんのキーボード演奏が始まりました。お別れ会に相応しい曲を何曲も演奏してくださり、皆で歌い出した曲もありました。


「サルサダンスの事で、ちょっと尋ねたい事がありますので…」と言う事で参加された、M先生です。
長年練習されてるケーナ演奏と、ユニークなトークで会場が盛り上がりました。



笑顔が可愛いこのキューバ出身の男性は、私のサルサダンスの先生なのです。
簡単なダンスを楽しむ予定でしたが、あいにく時間の都合で出来ませんでした。
この2年間、本当に気持ち良くスクール運営が出来たのも、この二人のおかげです。
Best Wishes for you two !!