2026年10月18日日曜日

三角西港散策と小泉八雲の作品ツアー

 16日に「三角西港&小泉八雲の作品ツアー」を実施しました。

やや曇りのお天気のおかげで、寒くもなく暑くもなく、 

・・・やさしい潮風が頬をなぜ

   耳にはさざ波の音がささやく

   雲の切れ間から届く陽光は

   無数のさざ波を宝石にして輝き

   ゆったりと、ゆったりと時が流れる・・・


そんな散策を楽しむことができました。




地元のガイドさん(東家さん)の郷土愛あふれる詳しい説明に、

約140年前に造られたこの「西港」の歴史や存在価値を、よく理解することができました。

特に天草の石工達が精魂込めて積み上げた埠頭や水路は、美しい直線や曲線を描き、現代も立派にその役目を果たしています。

2015年に世界文化遺産に登録されたのも納得です。








また西港の近くには「旧簡易裁判所」や「龍驤館」(有形無形文化財登録されている歴史資料館)、
などが保存されており、中に入るとまるでタイムスリップしたように感じられました。






ゆっくりと中身の濃い散策を楽しんだ後は、西港にある海に面したカフェ「アマテラス珈琲」で、ランチを楽しみました。
港の歴史を見つめて来た白壁の建物は、昔は倉庫だったものです。


テラスには潮風が心地良く吹き込んで、素敵でしたよ



食事を楽しんだ後は「浦島屋」に移動して、いよいよ熊大名誉教授の「西川盛男先生」のトークでお勉強タイムでした。
小泉八雲がここに宿泊した体験をもとにして書いた、「夏の日の夢」について講演していただくことができました。

長崎から逃れるように帰熊した八雲は、和そのもののこの宿と女将の心尽くしのもてなしに癒されたそうです。
そんな美しい名作がこの地で生まれた、と思うと感慨深いものがありました。









2026年10月15日木曜日

ひとり語り~No.6

            「チェコとチャスラフスカ」


先日、チェコ出身の熊大・大学院生とお話する機会があった。
私も居合道の文化交流のお手伝いで、チェコを訪問したことがあったので、
しばらくその話で盛り上がった。

チェコと言えば、以前は「チェコスロバキア」という国であった。
チェコスロバキアと聞けばすぐ思い出す名前がある、そう「チャスラフスカ」だ!

私はふと次のように言った。
「チェコスロバキアと言えば、日本でもとても人気のあった、有名な体操選手がいましたよね。」
彼女が
1964年の東京オリンピックで、 優美で気品ある姿で見事な演技を見せて世界中の観衆を魅了したことは、私の胸にも幼い頃の遠い記憶として残っている。

すると彼女の目が光を増し、次のように語り始めたのだ。
「そうなんですよ!ベラ・チャスラフスカです。日本人の方達はチェコと言ってもどこの国かピンとこないみたいですね。でも私が『チャスラフスカがいた国です』と言うと、『あーー!』と、特にシニア層の方達が覚えておられますので嬉しいです。
東京の後のメキシコオリンピックの時は、ちょうどロシアが2度目の侵略をした時で・・・」
それを聞いて私は目を丸くして尋ねた。「え!!ロシアの2度目の侵略!?」

彼女の話をまとめてみると、チェコは1939年からスロバキアと分離され、ドイツの領土となっていた。第2次世界大戦でドイツが敗退した後は、ソ連が侵攻して来て共産陣営に組み込まれた。その時に再び「チェコスロバキア」になり、独立国家の形は保つことができたが、ソ連の支配下になってしまっていた。

なので、東京オリンピックがあった1964年は共産圏の「チェコスロバキア」として参加していた。
チャスラフスカは見事な演技で金メダル3個、銀メダル1個を取って、自国はもとより世界中の観衆の注目を集めたのだった。

しかしその後、変化が現れる。
チェコスロバキアでは次第に、自由化・民主化運動が進み(プラハの春)、それを恐れたソ連が再び軍事介入をしてきて民衆を弾圧したのだ。そのため、東京オリンピックの4年後のメキシコでオリンピックが行われた時期には、民主化は終わりを告げ、ソ連の武力支配体制になってしまっていたそうだ。

メキシコオリンピックでも、多くの金メダルを取って表彰台に上ったチャスラフスカは誇らしく自国の国旗を見上げて国歌を歌った。しかし、ソ連の国旗掲揚の時には「静かな抗議」を示したのだ。一度だけでなく、何度も。

ソ連の国旗を見上げることなく、またソ連の国家を歌うこともなく、ずっと下を向いたままで通した。 自由と平和を求める不屈の姿勢を示したのだった。

この「静かな抗議」は世界中で大きな話題となった。
影響を恐れたソ連政府は弾圧を強め、帰国後の彼女は一切のスポーツ活動、社会活動を禁止されたという。
しかし彼女はひるむことなく、表に出ない地道な活動を続けたそうだ。

その後1992年に、チェコは無事にソ連から独立した。独立して自由な国に育ったその大学院生のお話は、
メディアから流れて来るニュースとは違う「事実」そのものの何物でもないからか、とても心に迫ってくるものを感じた。
祖国を愛おしむ心、またチャスラフスカを誇りに思う気持ちが、お話のいたるところで伝わって来た。

「チャスラフスカはチェコの英雄なんです!」
と語るこの若い女性にも、国の独立と自由を勝ち取るために流された血が  受け継がれて
いるのだろう。








2026年10月11日日曜日

玖珠、日田地方を旅して

 連なる深い山々

鏡ような川面

時間を止め 自然に戯れる
===玖珠、日田を旅して===











2026年10月7日水曜日

三角西港を散策しましょう!





























「きくよう多文化クラブ」主催のプチツアーのお知らせです。



秋の一日を三角西港でご一緒しませんか?

散策しながら、歴史と海、そして学び・・そんな特別なひと時ご一緒しましょう!

●世界文化遺産の港町である三角西港を、地元のガイドさんとゆっくり歩いて楽しみながら学びましょう! 

●海の見えるカフェでランチもします。

●また浦島屋では小泉八雲の作品「夏の日の夢」についてのトークもあります。

  熊大の名誉教授で「小泉八雲の会・会長」をされていて、シンポジウムや講演などで御活躍されている西川盛男先生をお迎えしますよ!
  お気軽にご参加くださいませ。

お申し込み➨milkworld2008@gmail.com  

 (A,バスで行く B,自家用車で行く、のどちらかを書いてお申し込みください)              


            ==要項==

①日時:10月16日(金) 10:40西港に集合

  *天草快速バスで桜町バスターミナルを9:25出発、10:35到着**

  (バス代:片道1,440円、桜町バスターミナル 5番乗り場 )

    *個人で車で来てもOK!

②11:00~12:00  西港および西港周辺を地元のガイドさんと散策


③12:00~1:20  海の見える「あまてらす珈琲」でランチ                   


④ 1:30~3:00  浦島屋見学と西川盛雄先生のトーク

(小泉八雲や彼の作品、特に「夏の日の夢」の紹介や解説を交えながらのトーク)



ひとり語り~No.5

        「八雲は熊本が嫌いではなかった」


町のセンターで発表会が催されることになり、英語クラスでは「小泉八雲」を題材にした
寸劇をすることになった。
寸劇のシナリオを書くにあたり、エッセイ等の作品に数多く触れることとなった。
読み進めていくうちに、八雲は熊本を題材にした作品を何と30あまり書いているのが分かり、
少々驚いてしまった。

「停車場にて」「夏の日の夢」「石仏」「極東の未来」などなど、洗練された題名が並ぶ。
特に「橋の上で」は安巳橋の上から見た白川や熊本市の景色を、まるで一幅の絵のように描いてあるが、その美しさは際立っている。

その作品には西南戦争中のある日に目撃した、橋の上で繰り広げられる三人の薩摩兵による政府士官の斬首、それを恐怖におののきながら目撃する車夫の姿が見事に表現されている。
無言のうちに粛々と行われる殺害は、まるで無声映画のように静と動が幾重にも重なりながら読者に迫る。そして結末は、人間の「徳」に及んで結ばれている。

そのような素晴らしい数々の作品を残してくれた小泉八雲だが、今でも多くの日本人には怪談作家と思われているのは本当に残念である。 
3月まで放送されたNHKドラマ「ばけばけ」を見て、そう思っている人の数は減っただろうか。

せめて熊本に住む私達は、「小泉八雲は熊本が嫌いではなかった」、「熊本を舞台にした数々の名作を残してくれた」、ということは知っておいたほうが良さそうだ。



2026年9月28日月曜日

熊日に投稿

 


ふろしきワークショップ

 9/27に「ふろしきワークショップ」を開催しました。(きくよう多文化クラブ主催)
外国人一人を含む13人の参加で小規模な集いとなりましたが、その分じっくりとご指導いただいて、とても良いワークショップとなりました。


「ふろしきの結び方は二種類だけしかないんですよ」との先生の言葉の様に、
その二種類の結び方の組み合わせで、リュック、帽子、ボトルカバー、バッグ等たくさんの
物が出来上がっていきました!
ふろしきの優れた点は、結びを解くだけで元に戻り、次には全く別物が瞬く間に
出来上がる事だと思いました。



















ろしきの歴史を紐解いてみました。

布で物を包んで保管・持ち運ぶこと自体はシルクロードを経由して、中国や中央アジア等の海外から「包む布」として伝わりました。
その後、室町時代の頃になると、大名たちが蒸し風呂に入る際、他人の衣類と混ざらないように家紋入りの布で衣類を包み、
風呂から上がった後はその布の上で身支度を整えたそうです(「風呂で敷く布」となる)。

そして江戸時代になると庶民にも銭湯が広がり、同じ様に着替えを持ち運んだり、入浴後はその布の上で身支度を整えた
そうです。そこから「風呂敷」として普及したそうです。

エコでサステナブルな風呂敷は世界に誇れる日本文化の一つですね💞