2012年12月30日日曜日

昭和一一年一月一日の新聞

この古いタンスは夫の祖母の嫁入り道具だと思われる。
とすると、大正中、後期のタンスと言うことになる。

しかし、桐製で重厚な黒い鉄の飾りがたくさんついた作りは、古ぼけてはいるが、美しいと思う。

その鄙びた美しさとでも言おうか、このタンスの持つ本来の良さを蘇らせたいとの思いもあって、
思い切ってキッチンの近くに置いて使うことにした。

これから少しずつ自分なりに修復して行って、味わいのある古箪笥に仕上げて行きたいものである   (*≧∀≦*)


タンスを移動させるには、当然引き出しの中をカラッポにしないといけない。

それで一段目、2段目と引き出しを開けて、中の物を取り出した。

中には絣の着物や、細かい十字模様の絣柄の男の子用の着物などが入っている。
これらの着物は、夫の母のであり、父の子供時代のものであると思われる。
(夫の祖母の後は、夫の母がこのタンスを使っていた)

思い出がたくさん詰まった衣類のようなので、大事に別のタンスに移し替えた。

そして3段目になって、あら大変!

鍵が掛けてあって、どんなに強くひっぱてもビクともしない。しばらく格闘した末に諦めて夫を呼んだが、夫も「壊す以外にない」との結論。
金槌などの道具を色々と組み合わせ、慎重に奮闘した末に、やっと鍵の部分だけ壊すことに成功!

「ワッ、小判だ!」

と夫が叫んだ・・・・・しかし、それはもちろん冗談 (´∀`)

中には、黄ばんでしまっているが上質の白無垢と、薄いグリーンに鮮やかな赤の八掛が彩をそえる打掛、黒紋付や袴、それに桐の箱に大事にしまってある、黒紋付羽二重の反物などが出てきた。
これらはたぶん、夫の祖母や祖父の婚礼衣装や、嫁入り道具として持って来た反物などと思われる。

その証拠は下の写真の新聞である。


鍵の掛かっていた三段目の引き出しの下敷きに使ってあった新聞である。
日付は「昭和一一年一月一日」となっている。(夫の母はまだ嫁いで来てなかった)

「一が4個も並ぶこの記念すべき元日の新聞を取っておきたい」・・・そう思った夫の祖母は、この新聞をタンスの下敷きにして、自分達の婚礼衣装をその上に置き、施錠した。

想像を掻き立てられる76年前の話である。

黄色く変色した新聞には、

「画宴 豪華絢爛  百条敷きに美技を総動員する『大観』(横山大観のこと)』
「伏見宮家のお喜び」、(皇族の結婚が決まった)
「タクシー電柱衝突」、
「虐げられる人妻に同情し 三人心中」
「新春は先づ 新市街から・・各種高物興行を初め」

とかの見出しがあり、興味をそそられる。

昭和11年は2.26事件が起こり、翌年には日中戦争が始まっている。
いよいよ激動の昭和が始まる前の静かな新年だったとは、この時の人々は知る由もなかったであろう。


香炉

約ひと月ほど前に、お坊さんが檀家を訪ねてお経を上げて回る、「お取り越し」というのがあった。
昨年からご住職様のご子息が回られているが、お経が終わってからの雑談の中で、「このお飾りのお揃いは、お東さんのものですから・・・」と言われ、場所を置き場所を隅の方に移された。

「同じ真宗だからいいんじゃないんでしょうか?」と言いたかったが、それに対してどんな答えが
返って来るかもだいたい想像できるたので、言わずに済ませた。

そのお飾りの一つが、この香炉であるが、その時からちょっと気になっていた。
よく見ると、小ぶりで、蓋には獅子がついており、なかなか良い風情である。

隅に置いたままにするのも可愛そうなので、ピアノの上に置いて、本当の香炉として使うことにした。
ずっと以前に、ある方からお土産にいただいた「お香」があったので、それを焚いてみた。

しばらくすると、獅子の足元から「お香」の煙が柔らかく立ち上がり、そしてピアノの下の方へ流れて行く。その姿がなんとも優雅だ。

そのうちにピアノが置いてある玄関ホール全体に、奥深い、頭がジーンとするような香の香りが
立ち込め、何とも言えない深遠な雰囲気に包まれた。

それ以来、折に触れては色々なお香を焚いて楽しんでいる暮れの日々である。
   




2012年12月22日土曜日

興味深いお話No.30~韓国に初の女性大統領!~

韓国に史上初めての女性大統領が誕生しました。

折しも衆院選を終えたばかりの日本にとっても、また竹島問題等もあり、よそ事とは思えないビッグニュースで、日本人も大いに期待しています。

日本では女性の総理大臣なんてまだ想像もできない状況ですが、
韓国は凄いですね。

この女性大統領への国民の期待、韓国民の反応等を、ソウル出身のチェさんにお聞きしました。

私) 初めての女性大統領が誕生したそうで、凄いですね。

   日本では女性総理なんてまだ想像もできない段階ですが、韓国では 「女でだいじょうぶ?」 「女なのに」とか「女のくせに」とか、そんな感情はないんでしょうか?

チェ) 韓国は、もうその段階は通り越していると思います。韓国女性は強いですから。      (笑)
   それに、大統領職となったら、男か女かは関係ないと皆思ってます。
   その人の能力で判断しますので。

   ましてや 朴 槿恵(バク クネ)さんはお母様を亡くした22歳の時から、
   お父様の朴 大統領の側で5年間ファーストレディの役をされてましたので、
   大統領の仕事がどんなものか周知されてると思いますよ。

私)そうだったんですねー。
  特に朴 槿恵さんは6年前まで野党の党首だったそうで、実力ありそうですね。
  日本では国会議員も世襲制になったような感じがするほど、政治家の子供が政治家になったりしていますが、韓国もそういうケースが多いんですか?

チェ) いいえ!韓国では今回が初めてで、珍しいケースです。
   そういう意味では、「大統領府で育った人に何が分かる?」とか言う人もいます。

  私) そうですか、ところで、新聞には「両親をテロで亡くし、悲憤で心を研ぐように強くなった」と書いてありましたが、お母様もお父様も暗殺されたんですか?

チェ)そうなんです。
   先ずお母様が、父親の朴大統領を狙った銃弾が当たって、亡くなるんです。
   これは韓国民にとっても本当に悲しい事件でした。
   1974年の8月15日でした。

   8月15日は韓国では日本からの独立記念日で、「光復記念日」としてお祝いしますが、亡くなったお母様の冥福も今だに祈ります。

私)そうなんですね。よほど慕われた実力あるファーストレディだったんでしょうね。
  
チェ)はい、大統領を陰に日なたに支えたとても立派な女性でした。
   朴大統領につきましては、日本統治時代に生まれてますので、日本式の教育を受け、   成人してからは満州国の軍人にもなっています。

   日本を模範とした経済体制を敷くなど、日本との縁も深かった方でしたが、
   18年も政権の座にいましたので、独裁政権になってしまってたようです。

私)それは知りませんでした!
  それで、奥様が亡くなった後、今度は大統領自身が暗殺されたんですね。

チェ)はい、奥様の死から5年後でした。側近から射殺されたんです。
   その時は数ヶ月間に渡り、戒厳令がしかれて大変だったそうです。

私)そうでしょうね!現職の大統領が暗殺されたんですものね。
  長女の槿恵さんの悲しみもいかばかりだったことでしょう。
  「一生分の涙」を流されたことでしょうね。

チェ)はい。
   でも、お父様の評価は死後にグンと上がりました。何故かと言うと、
   大統領の死後に分かったんですが、私有財産がほとんど無かったんです!

   大統領ともなれば、普通は凄い資産があるはずですが、殆どなかったそうで、
   私利私欲のない大統領だったんですね。

私) それは素晴らしいですね!
   日本の政治家にも見習って欲しいです。

チェ)また、反感も大きかったんですが、日本への多額の経済援助もお願いしました。
   そしてその後、急速に韓国経済は成長しました。

私) 国民を食べさせるために、私情を超えた勇気ある行動を貫かれてたんですね。

チェ)そうだと思います。国民を食べさせるためだったと思います。

   ちなみに、その頃の(1960年代)韓国はとっても貧しくて、世界最貧国だったんですが、その後の20年弱で国民所得を約20倍にまで跳ね上げるという奇跡を起こしました。

   年配の韓国人達は、自分の生活がどんどん良くなったのを実感していたそうです。

私)20倍の所得増は本当に奇跡的ですね。
  ところで、そんなお父様の業績を踏まえての今度の女性大統領には、
皆さんはどんな期待を寄せられてるんでしょうか?

チェ)韓国では貧富の差が拡大し、「明日は食べれなくなるかもしれない」と心配する人が増えています。
   とにかく景気を良くして欲しいですね。

私)それは日本も同じです。

   グローバル化が進んだ今日は、世界各国の抱える問題も共通化して来てますね!  
  血で染まった両親の衣をすすぎながら、愛国心を培って来た 朴 槿恵大統領には頑張って欲しいですね

 また、日本との友好関係もさらに深めて、アジアの平和発展に尽力してもらいたいです。

チェ)私も心からそう願ってます。 

2012年12月16日日曜日

マイ クリスマス イルミネーション



今年は思い切ってクリスマス イルミをトライしてみることにしました。
あこがれのカラーコンビネーションは、ブルー&ホワイト。
LEDでイルミパターンが8種類もあり、それもパターンを選べる優れものです。

あまりの美しさに、ついついオレンジのチューブライトも追加してしまいました。
芝生の上に大きく" Merry Xmass ! "と作ったんですが、あいにく近くまで行かないと
文字は見えません。

でも、師走の暗黒の夜空を美しく彩ってくれています。

点滅する光のショーに元気をもらっている今日このごろです。

2012年12月15日土曜日

この子達から元気を奪われたり、もらったり

自分のスクールの他に、小学校やらセンターやらでも子供たちに英語を教えています。
私が来るのを本当に喜んでくれるので、ありがたいです。
でも、授業が始まるとはしゃぎ過ぎて、寄せたくもないシワが私の眉間に寄ってくるのです。
(*^_^*)

でも、それでこそ子供!
その元気を持ち続けて、強い日本を築いてね・・・








2012年12月4日火曜日

寺山修司 作詞の 青森大学校歌


先日、朝日新聞を読んでいて、寺山修司が書いた校歌があるのを知った。
「青森短期大学校」の校歌で、昭和37年に作られたもので、今も青森短大、青森大学の両校で歌われているそうである。
「空に大きく字を書こう  書物の森に出かけよう …」
何と大きな世界、何と意味深い言葉なのだろう!
この出だしにすっかり魅了されてしまったものの、新聞には最初の数行しか紹介されてなかったので、自分で調べてみた。
そこには洗練された言葉、そして爽やかで力強く、勇気を与えてくれる詩の世界が広がっていた!
八方塞がりの日本で喘ぐ若者達みんなにこの詩を送りたい気持ちがする。
そして、もはや若者ではなく、また残された時間も若者よりグンと少ないが、
確かにまだ未来はある私にも。


若者よ 若者よ
1.
空に大きく字を書こう

書物の森に出かけよう

今こそ時は青春の

日を惜しむかにめぐりゆく

立ちて掲げん真実は

ただ一握の灰ならず

若者よ 若者よ

われらの母校 青森大学

血潮は赤く海青し

希望は燃えて空晴るる

ここみちのくの八甲田

あおぎて鐘をならすべし

2.
海にはるかに問いかけよう

学びの舟でこぎ出そう

今こそ時は青春の

日を惜しむかにめぐりゆく

立ちて掲げん自由とは

ただ一握の灰ならず

若者よ 若者よ

われらの母校 青森大学

2012年12月2日日曜日

「げのむガイド」さんと歩く、厳選・京都の旅

晩秋が初冬に歩みを早める11月の終わりに、神戸、大阪、京都を訪れました。
神戸と大阪ではピラルさんや、5月にイギリスにキャナルボートをしに行った時の友人二人とも再会できて、とても楽しい訪問となりました。

また、京都では「熊本シニアネット」のフレンド、「げのむ先生」と先生の奥様に、いわば京都中級レベルとも言える場所を中心に案内していただきました。おかげで学び&感動の3日間を過ごすことができました。


フェルメールの「首飾りの少女」を見るためにやって来た神戸でした
ピラルさんも、仕事を休んで神戸まで同行してくださいました


二人とも、それなりに納まってます(笑)

大阪のお二人とお会いすると、相変わらずお酒とお話で盛り上がります

ピラルさんの勤めるスペイン料理店「ウニコ」でディナーをいただきました。
店長、シェフ、スタッフの皆さんもテーブルまで御挨拶にみえ、恐縮しました。
このスペインのビールをはじめ、高級ワイン、おいし~いスペイン料理の数々を
大サービスでふるまっていただきました。
ピラルさん、ありがとう!

 京都では、いよいよ「げのむガイド」さんの案内で、「みやこ歩き」の旅が始まりました。
この日は奥様も御同行いただいて、京都の色々な地に残る、歴史やエピソードをたくさん聞かせていただきました。(法金剛院にて)
 鳥羽天皇の中宮・待賢門院が復興したお寺・法金剛院。 80種以上の蓮が植わるこの池も、この時期は静かな水鏡を湛える。
濃い緑の苔と紅葉の赤のコントラストが美しい!

  思わず目を引き付けられる建築美 (妙心寺で)

「 げのむ夫妻」がやっと見つけてくださった、兼好法師のお墓 (長泉寺で)
実は私は「徒然草」の大ファンなのです。兼好法師も喜んでくれたかな?
黒と白そして金のコントラストは  wonderful !
この豪華さは、さすがに「御室御所」  (仁和寺で)



 モミジの赤が豪華さに一段と華を添える

宿は思い切って、町家や茶屋をリフォームした伝統家屋の
ドミトリーにしました(相部屋です)

中庭の見えるリビングは家庭的雰囲気で、
皆のマナーも良く、快適でした

中の様子

部屋に入るなり、"Are you Japanese ?"と話しかけてきた
香港から来たクレアさんとすっかり意気投合しました。
クレアさんは、京都は5回目だそうで、「冬の京都もとってもいいよ」とのことで、
京都・上級レベル旅行者だと思いました。

このオーストラリアから来た御夫婦ともよく話しました。
「日本ではどこででも喫煙している」と、驚いた御様子でした。
オーストラリアの禁煙はとても進んでいて、日本も見習ったほうが良さそうです。
6週間の休みを取って、四国、奈良、京都を回られているそうで、特に古寺・古仏の芸術性に
圧倒されてる御様子でした。


2日目は市街からだいぶ離れた「高尾」にある、神護寺と高山寺を訪れました。
五木寛之の[百寺巡礼」に載ってるので、是非とも行ってみたい所でした。
この日は、一人旅となりましたが、石段をせっせと登って来ました。

紅葉が落ちてしまった風景も、「いとをかし !」

凛として高貴なこの建築美に思わず "How beautiful !"

Wow !  It is fantastic !!

古寺に似合う純白の椿

神護寺はこんな高い山の中にあるのです。
この谷に向かって、カワラケを投げて来ました。難よけのおまじないだそうで、
五木寛之もやってましたので、私もやって来ました。

この苔の厚さが歴史を物語る

        高山寺のほうは、人影もまばらでラッキーでした

How peaceful !!



高山寺には日本で最初にお茶が植えられた場所なのです。
そのお茶園が残っています。
もちろん、当時は大変貴重なお薬として、一部の高貴な人達だけに飲まれてました。

  3日目は大原にやって来ました。静かに広がる田園風景に心が和みます


       空に向かって真っ直ぐに伸びる杉が何と美しいことか !

この日も「げのむガイド」さんがお供してくださいました。
とても歩くのが速く、過体重の私は追いつくのに必死でした(笑)

「三千院」等の人の多いところを避けて歩くと、「これぞ京都」といった感じの
小道がある。

平家物語ゆかりの寺「寂光院」、天台宗の古刹「来迎院」を訪れた後は、「音無しの滝」まで歩きました。この滝は、今度の旅の大きな目的の一つで、無事に辿り着けて本当に嬉しかったです。
「げのむガイド」さん、ありがとうございました!
 音無しの滝とは、来迎院の偉いお坊様が修行のためこの滝の前で声明を唱えていると、
いつしか声明が滝の音と一体になり、滝の音が消えてしまったという逸話からつけられた
名前だそうです。(何百年も前の話です)
山中に響く柔らかい滝の音を聞いていると、自分が自然に溶け込むような感じがして来るのです。


お昼は 京都の「おばんざい」をいただきました。
う~ん、おいしい&きれい !



 お昼の後は、すぐ近くにある「宝泉院」を訪れました。ここは大原でも特に人気のスポットです。
 柱と柱の空間を額に見立てて鑑賞する、素晴らしいお庭があるんです。
また、魅力の一つに、お庭を見ながら抹茶とお菓子がいただけます。
                          
食事の後のデザートに最適でした。

           この大きさ、この美しさには息を呑む


Thank you so much for your kindness, everyone !
I am looking forward to seeing you all in Kumamoto some day.
Have a good new year !!