2012年10月9日火曜日

歴史秘話~日中戦争を防ぐための平和交渉はあった~

尖閣諸島をめぐり、不協和音が聞こえ始めた日中関係です。

私の周りにもカッカなっている人もちらほら見受けられます。これは村上春樹の表現を借りれば、「安酒に酔ったようなもので、頭に血が上がり、行動が粗野になります」。(私も含め、思い当たる人も
あるのでは?)
しかし酔いが覚めたあとは、嫌な思いが残るだけですね。

ここはお互いになくてはならない重要な国どうしですから、しっかりと冷静に、決然と事を運んで欲しいし、私たち民間もより一層友好の和を広げていきたいですよね。

折しも、熊本大学博士課程で日中関係、しかも「日中戦争の平和交渉」を専門に研究しておられます,中国出身のSさんにお会いする機会がありました。

「歴史に学べ」とはよく言われる事ですが、戦争突入を避けるべく血の滲むような努力をされた人達が中国にも日本にもいた事実は、初めて知りました。

会話の内容を少し御紹介させていただきます。

私) 司さんは日中関係が御専門で、その中でも「日中戦争の平和交渉」を研究されているそうですが、戦争を回避するためにどんな平和交渉があってたのでしょうか?

S) 盧溝橋事件のことは御存じだろうと思いますが、その事件の前から抗日運動も高まり戦争突入の気配が強くなっていました。
その頃から、蒋介石のNo2 の部下だった「王 兆銘」は、最悪の事態を回避すべく活発に活動していました。
王は日本の法政大学に短期でしたが留学したこともあり、日本が大好きだったようです。

私) そんな方がいたんですね、全然知りませんんでした。

S) その当時の中国では、日中平和を訴える人達はごく少数だったんです。盧溝橋事件が起きてからは、抗日運動は激しくなるばかりで、王たちの平和活動は反発が強くて、できなくなってしまったんです。

私) そうでしょうねー、抗日の声がこだましているのに、「日本とは仲良くしましょう」なんて言えませんよね。

S)そうです。日中の平和を訴える事はとても勇気のいることだったんです。
  でも残念なことに王は、平和路線に腹を立ていた人達に中国で襲撃されてしまうんです。

  その時の銃弾がひとつ取り出せなくて体に残ったままになってしまいました。

  日本の支援者の協力で、その後名古屋大学で手術を受けるんですが、
  その甲斐なく、まもなく亡くなってしまいました。

私)本当にお気の毒でしたね。御家族もさぞ辛い思いをされたことでしょう。
   今も御子孫はいらっしゃるんですか?

S)はい、香港に住まれてますよ。 でも今でも、「自分の先祖は王兆銘だ」とは、胸を張って言えないんです。
日本との和平路線を歩んだ事は、中国では今でも好ましく思われてない面があるんです。

私)やはり歴史の残す爪後は傷が深いですね。
  ところで、司さんは今回の尖閣諸島を巡る日中摩擦はどう思われますか?

S)そうですね、今までにない深刻な状況と言えます。
  ただ、共産党に対する不満が大きな要因とも考えれます。
反共産党政府の活動で逮捕された件数は昨年は11万件にもなるんです。

中国では反政府の動きがだんだん強まっているんです。政府はそれを回避するために、反日本の感情を利用しているとも思われます。


私)そんなに反政府の動きが強いんですね。これからどうなるかわかりませんね。
   個人的には、民間レベルでは日中友好関係はさらに深く、さらに親密にと願っています。

S)私も、熊本大学に留学させてもらって、日本にはとても感謝しています。
  日中がいつまでも仲良くあるように、また私の研究が日中友好に役立ちますように、
 いつも強く願っています。

 
  

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