2025年11月12日水曜日

インドの旅スト―リー 6

昨日からジャイプールに来ている。
グルガオンから車で約4時間かかった。
グルガオンからジャイプールに伸びる高速道路が約7年前にできたおかげで、渋滞から解放された本来の高速のスピードで走ることができて助かった。
車窓にはどこまでも、どこまでも続く、山が全くない広大な平野が続く景色を堪能できた。しかもその平原のほとんどは農地だった!

調べてみると、インドは国土の約半分が農地でGDPの17‰は占める重要な産業だそうだ。また米や小麦の生産量は世界第2位だそうで、これも全く知らなかったので驚いた。
日本のような耕作放棄地は全く見えない。
また、日本と大きく違う田園風景は農業機械がほとんど見えないということだろう。たまにトラクターが耕作しているのを見かけるだけで、あとは人間が手作業をしているのが見えるだけだった。
ここにも豊富な農業労働力を垣間見ることができた。

もう一つ大きな違いに気がついたのは夫であった。
「どうしてあんなに木が多いのだろう? 日陰があると作物はよく育たないのに、、、」
夫が調べたところによると、農地に低い木が点在するのは主に「アグロフォレストリー」(農林複合経営)と呼ばれる伝統的かつ現代的な土地利用システムだそうだ。
このシステムには、農家の生計向上と環境保全の両面で多くの利点があるそうだ。
  • 多様な林産物の供給源: これらの木は、農家にとって重要な燃料材(薪)、飼料、建設資材、そして換金作物としての木材を提供する。
  • 農業生産性の向上:
    •  木の根が土壌の浸食を防ぎ、落葉が有機物として土壌肥沃度を高める。 
    • 作物や家畜に日陰を提供し、特に暑く乾燥した地域で過酷な気候を和らげるのに役立つ。
    •  強風から農作物を守る。
    • 木材やその他の林産物からの収入が農家の経済的な緩衝材となる
  • 生物多様性の維持: 農地内に木があることで、さまざまな動植物の生息環境が提供され、生物多様性の維持に貢献する。
こんなに利点が多いアグロフォレストリーは政府も支援している。2014年に国家アグロフォレストリー政策を導入し、気候変動の緩和と農業生産性の最大化を目指して、この慣行を積極的に推進しているという。 
とても興味深い農業政策で、頑張ってほしいと思った。

そんなことを調べたり、考えたりしているうちにジャイプールのお城が見え始めた。
(アンベール城)(風の宮殿)
(水の宮殿)

2025年11月11日火曜日

インドの旅ストーリー5

「グルグラム フェスティバルと言うのが昨日からあっていて、今日は午後5:30から民族舞踊などがあってるそうですよ、行かれませんか?」
とのカスミさんのお誘いに、二つ返の"Yes"で行くことになった。
グルグラムはグルガオンと同じ都市名で、地域の祭りというところか。しかし会場はステージ発表だけのようだ。
会場に早めに着いて席に着いていると、次から次と観客が増えていった。
夫婦連れが多く、皆おしゃれをして入っ来るのを見るのは楽しく微笑ましいものである。特に女性の色々なサリー姿を見て、想像を膨らませるのはとても楽しい。

いよいよショーが始まった。
先ず伝統ダンスだった。民俗色の濃いダンスを美しいダンサーが続けて一人で4曲も、それも1時間ほど続けて踊ったので驚嘆してしまった。
次は民俗楽器の演奏と歌う、古典の歌であった。
古代から伝わる民話を歌で伝えるのだそうだ。これも1時間ほど休みなく歌うのだからすごいエネルギーと情熱である。
舞踊にしろ、歌にしろ、言葉が分からないため内容はつかめないが良いものは良い。
心に訴えかける何かを持っていて、引き込まれてしまった。
芸術は時と言葉を越えると納得した。

2025年11月9日日曜日

インドの旅ストリー 4

今日は土曜日でカスミさんは手芸の発表会があるとのことで、代わりに旦那様がガイド役をしてくださいました。
旦那様は会社から別のドライバー付きの車を与えられていますので、この日はその車で観光です。
休日のせいか、通りもいつもより若干混んでないようでした。
「今日は世界遺産クトウブミ―ナ―ルとその近くにあるもう一つの世界遺産を見に行きます」
と旦那様が言われると、初めて聞くその名前に期待が膨らみました

宿から約1時間で到着しましたが、入り口に到着すると学校の見学旅行と思われる子供達がたくさん!  その遺跡の重要さが分かります。
また1700年ぐらいの古さであるが、鉄の純度が100パーセントのため、未だに錆びていない、これまた驚異的なアイアン ピラーというのも珍しかったです。
歩いていると美しくも古い、高い石の塔がいつも目に入り圧倒されました。
これは13世紀中頃(約75年をかけて完成)作られた塔で、
高さは約73メートル(世界で最も高い煉瓦造のミナレットの一つ)だそうです。
建設は、**奴隷王朝の創始者クトゥブッディーン・アイバクで、
彼は北インドでイスラーム政権を確立した人物です。
古代の美しい遺跡の世界に浸った後は、わりと近くのもう一つのいわば水の遺産を見に行きました。
これは階段井戸と言われ、、水の確保と貯蔵を目的とした構造物で、特に乾燥地帯(ラージャスターン州、グジャラート州など)で発達したそうです。地面の深くまで掘られた井戸に、階段で降りていけるようになっているのが特徴です。

単なる井戸ではなく、宗教的・社会的な集会の場でもあったそうで、
多くは女性たちの社交場でもあり、地域コミュニティの中心的存在でした
古代に思いを馳せた一日でした。

インドの旅スト―リ― 3

昨日ははハーフゴルフ⛳☀️💦をしてきました。
すごーく美しいコースで広い敷地にあるリゾートホテルのゴルフ場でした。

やはりインドは豊富な労働力があるので、コースの手入れも機械ではなく、ほとんど人力のようでその分とても美しいコースでした。
キャディも雇いましたが、ダフリで芝を剥いでしまうと、すぐさま土入れをして処理してまして、懐かしい感じがしました。
このキャディさんはまだ若い男性ですが、ここのゴルフコンペで73というスコアで優勝したことがあるとのことで、ラインの読みも適格で私達のケアもうまく、ゴルフを熟知していると思いました。

また、「まっすぐ」「ナイスゴロゴロ」「すばらしい」とかの日本語がうまいので、「どこで習ったの」と英語で尋ねると、「この会社に日本人が一人働いています。その人に僕が英語を教えて、代わりに日本語を教えてもらってます。」とのことで、微笑ましかった。

リゾート満喫できて素晴らしいゴルフ⛳☀️💦でした。
また、この日の夜はカスミさん宅で心のこもった手料理の和食をご馳走していただきました。
久しぶりに胃に優しい食事で日本食の良さを改めて実感しました!

インドの旅スト―リ― 2

広いアパートメント形式のサービス付きの宿は、評価が10だけあって、なかなか快適です。床もピカピカに磨いてあり、ベッドもキングサイズ。
全て揃えてあるキッチンは本当に便利です。
そんな快適宿で迎えた第一日目はデリー観光ということで、世界遺産の
レツドフォ―トとガンジーの墓所を訪れました。

レツドフォ―トはムガ―ル帝国時代の1648年に作られた、赤い城と言われる要塞で赤砂岩で作られています。
古さをしのばせる要塞の赤さから歴史を感じる事ができました。
インド人にとっては非常に価値ある場所だそうで、国内からの沢山の旅行者で賑わってました。

その後、ガンジーのお墓であるラ―ジガ―トに行きました。
ここは入っただけで聖なる場所だと感じました。
インドを独立に導いた偉大な指導者の墓所は、やはり特別な聖なる場所でモニュメントの近くになると、靴を脱がないといけませんでした。
それにしても広大な敷地で、池のある庭園にも繋がっていて、
やはりインドは広い、また人間も多いと実感しました。

2025年11月8日土曜日

インドの旅ストーリー 1


  
羽田空港で(わ、寒い)と思った約9時間後、私達はデリーの空港に着いた。
飛行機を降りない前から長袖のシャツが暑く感じられたが、気温は機内放送によると28度ということで約2.3週間前の熊本を
思い出した

飛行機を降りて広い、広い飛行場をまるでウオーキングしているかのように(まだか、まだか)と思いながら歩くと、やっとイミグレーシヨン
にたどり着いた。
パスポート、入国カード、e―visaと手元に揃え、夫にもその指示を出し順番を待っていると、案外早く自分の順番が回ってきた。

どこかヨ―ロッパ系の風貌がある審査官が黙々と書類に目を通し、機械で顔認証し何の問題もなくパスした。
ただ、英語が得意でない夫のために私は一言残して、審査官の前を通過した。何とこれが意外な展開を生んだのである。

審査官は夫に何か言ったようだが、夫が分からなかったからか、後ろで待ってる私に次のように大きな声で言ったのだ。
〃Is he your husband?〃
おまけに手招きもしている。
私はまた審査官のもとに帰った。
〃Yes, he is my husband.〃と私が答えると、
〃He is your husband.  He is yourhusband.〃 と 何度も言うので
私も冗談に答えてあげたくなり、英語で次のように言った。
「どうして何度も尋ねるのかな?私ってそんなに若く見えるの?」
すると審査官は次のように答えた。
「あなたは16歳のように見える。」
夫と私は大笑いをした。
そして、このままで終わらせるわけにいかない私は次のように言った。
「インドは大好きになった!日本では誰もそんなこと言ってくれないから」
審査官は「私は言ってあげるよ」と胸に手を当てて言った。
そんな冗談の中で、夫の審査はあったのか無かったのか分からないうちに終わった。
最後に私が「Have a good evening」と言って、審査官は心を込めたように、「さよなら!」と言ってニッコリしてくれた。
インド旅の意外な幕開けであった。