2025年12月5日金曜日

国谷裕子 氏の講演会

 昨日は熊本ユニセフ協会主催の講演会に行ってきました。

講師はNHKの「クローズアップ現代」のメインキャスターとして有名な「国谷裕子」でした。

テーマは「地球温暖化」でしたが、23年間続いた番組で培った知識と取材力で練り上げた内容はさすがでした。







その話を聞きながら、私はインドのダージリンで乗ったタクシーの運転手の話を思い出しました。

「以前は冬には雪が毎年けっこう降っていましたが、
2021年に降った後は2023年まで降りませんでした。そしてそれ以降は今まで降ってないんですよ。
地球温暖化をもろに感じています」と言ったのです。
どこか背筋の寒くなる話でした。
話を聞きながら、私はインドのダージリンで乗ったタクシーの運転手の話を思い出しました。

「以前は冬には雪が毎年けっこう降っていましたが、
2021年に降った後は2023年まで降りませんでした。そしてそれ以降は今まで降ってないんですよ。
地球温暖化をもろに感じています」と言ったのです。
どこか背筋の寒くなる話でした。

2025年12月1日月曜日

バンガローに泊まる

 山の奥深いキャンプ場

バンガローに泊まり
自然の揺りかごに眠る

そんな休日を天草の白嶽で過ごした





紅葉狩り

 「紅葉のトンネルがあるよ」との夫の言葉に、

数時間の紅葉狩りに出かけた。

紅色、黄色、橙色、それに緑の祭典にため息

==河内、小袋山辺りで===







2025年11月26日水曜日

日本菜的禮數 & 和服體驗

 

 

報名與洽詢:

                                                                                      

地圖 https://maps.app.goo.gl/AhxkUL57mSoVzKrz6                                                         

Japanese food Etiquette & Kimono Experience

 


If you want to join us, please send me an email.
milkworld2008@gmail.com                                            


Here is the map to the Aoyagi Restaurant.  https://maps.app.goo.gl/AhxkUL57mSoVzKrz6 
                                                                               



和食マナー講座と着物体験

 


どなたもお気軽にご参加くださいませ。
お申し込みはmilkworld2008@gmail.com までメールください。



2025年11月18日火曜日

インドの旅ストーリー12

⭐紅茶園

チベット難民自立センターの後は動物園に行った。

雪ヒヨウ、シベリアタイガー、白いベンガル虎、レッサーパンダ等、なかなか見応えがあった。



その後はHAPPY  TALLEY TEA GARDEN (ハッピーバレー茶園)を訪れた。

ここはダージリンで2番目に古い茶園だ。1854年に設立され、長い歴史を刻んでいる。標高は約2,100メートルでvalley(谷)というだけあって、かなりの傾斜の深い谷に茶園が広がっている。

広い茶園は日本と違い線上に並んで植えられていない。ただ隙間なく植えてある感じだ。これは機械を使わない人力中心だからできることと言える。

また、2007年に新しい所有者に変わってから有機栽培に変わったそうだ。

到着してしばらくすると工場のガイドツアーが始まった。稼働中の工場が博物館となっていた。あいにくこの日は日曜日で作業はお休みで見れなかった。ガイドツアーは(もうこれで終わり?)と思うぐらい短かかったが、とても興味深いものだった。

ガイドツアーの後は試飲と販売で、これは世界共通だ。

2000メートルを越す高地で、人力による有機栽培された紅茶は柔らかい感じで、香り高く、生産量が少ないからか高価である。

しかし外貨なので感覚が鈍っているせいか、抵抗なく購入した。

(終わり)

インドの旅ストーリー11

⭐チベット難民自立センター

個人の外国旅行に予期せぬことは付き物である。
ダージリン滞在の最後の日、私達はまた前日と同じタクシーを1日ハイヤーして、紅茶園やロープウェイ、動物園を訪れることにした。
先ずアジアでも最も長いものの一つと聞くロープウェイに行ったが、これまた長蛇の列で「2時間待ち」と言われた!
「切符だけ買っといて後で乗りにきては?」と尋ねたが、「いつ来ても2時間待ちです。午前6時ぐらいからみんな並んで切符を買ってます。」
との答えだった。これも12億という多人口のなせる業か?ここの人気度か?よくは分からない。
仕方ないのでそこに広がる素晴らしい山岳風景を眺めて、想像力で乗ったことにした。


運転手は気の毒がってか、「では代わりにチベットの難民キャンプに行きませんか?
そこだけにしか売ってない手芸品や美しい織物で人気があるんですよ」
「え?!ダージリンにチベットの難民キャンプ?!」
と私達は意外な展開に驚いた。
運転手の説明によると、1959年に中国はチベットに侵攻して支配下に置いた。その時にダライ・ラマに続いて、多くのチベット人が自由と平和を求めてヒマラヤ山脈を越え、ネパールやインドへ亡命したそうだ。。
ダージリンは、中国チベット自治区に接するヒマラヤ山脈の 亡命ルートの終着点の一つとなり、難民が住み着き易かったという。
最初は10数人のチベット人が住み着いたが、1964年頃に土地がインドから提供され、難民が自立して生計を立てられるよう、織物や工芸品の制作・販売などを行う職業訓練施設を兼ねた「チベット難民自立センター」が設立されたそうだ。
同じような難民支援センターはインド各地にあるという。 

たまたまこの日は日曜日で、たくさんのお店が閉まっていたが、それでも僧院にお参りしたり、みやげ物店で高度な技術で織られたショールやカーペットなどが並べられていた。売上金は難民センターの運営に回されるということで、寄付のつもりで美しい箸セットを購入した。
お腹もすいたので、そこにある小さいレストランに入った。
チベット伝統料理のスープ麺のトゥクパを注文した。

店の主人は私達がトゥクパを食べてる横で色々と話してくれた。
「ここは親達が難民として逃げてきた時は山だった。親達が苦労して住める場所にしてくれたんだ。でも当時の親達は亡くなってしまい、若者達はここを出ていくし、店もだいぶ減ったよ。ここには彼等の求める人生はないからね、仕方ないよ」
「ダライ・ラマは知ってる?こうやって平穏な暮らしができてるのは、全てダライ・ラマのおかげなんだ!」と、壁に貼られたダライ・ラマの大きなポスターを見ながら感慨深く話す店主に耳を傾けつつ、私達はトゥクパのスープをすすった。

2025年11月15日土曜日

インド旅ストリー10

★日の出とヒマラヤ

ダージリンに来たら逃せない場所として、日の出に照らされるヒマラヤが見える展望スポット、タイガ―ヒル(Tiger Hill)がある。
標高 約2,590 m(ダージリン市街より約300m高い)の所にあるので、タクシーで行くことにした、というかタクシーしかないのである。または現地ツアーはあるだろうが、個人旅行としてはタクシーが好ましく価格も手ごろだ。
カスミさんの努力で割安でタクシーが手配できた。
出発したのは朝4時と、日本の私では考えられない出発時間なのだが、そこは外国時間というか、外国では不思議と平気な私である。
気温は5度ぐらいで、寒さに身を縮めながらタクシーに乗り込むと、窓が空いている!
「すみません、寒いので窓を閉めてもらっていいですか」と夫が言うと、「窓を全部閉めると私が眠くなるんですよね~、それと暖房もありませんのでok?」との答えで、運転手の後ろに座った私の前の窓は空いたままで現地まで走った。確かに寒かったが、それより眠さが先に立ちウトウトしているうちに現地に着いた。

ヒルの上は日の出もヒマラヤも見渡せそうだ。しかしもう人、人、人でいっぱい!

まだ見えないヒマラヤの位置を憶測で定めてスマホを用意して、日の出を待った。
日の出が少しづつ近付くと、空に浮かんでいた雲らしき物が周囲の空の色の変化と共に、山々の形を現していった。
うすい水色からうすい黄色、そしてうすい桃色から少し濃い桃色へと変化していく。
最後には日の出に輝くヒマラヤの山々、そしてその中で最も高い
カンチェンジュンガ(世界3位の高さ)がひときわ崇高に輝いている。
また少し左に離れた向こうには、エベレストも顔を出している!
こんなスペクタクルな自然の妙に、夫婦で身を置くことができて本当に幸運であった。


















インド旅ストリー9

★トイトレイン
1800年代も終わり頃になると、イギリス統治下のインドのダ―ジリンは避暑地(Hill Station)として、人口も増え交通の改善が必要になった。また、茶葉産業も急拡大し効率的な輸送が急務となつていた。そんな中でヒマラヤ鉄道の建設が計画されたのだった。

歩いたりタクシーに乗ったりしていると、幅のせまいレールが町中の狭い道路の片すみの
至る所を走っている。また時には横断もしている。もちろん遮断器はない。
線路は単線で、トレインはそんなに頻繁には走らないので、人が線路の上を歩くのも全く普通のことなのは、驚きとともに微笑ましい。
ダ―ジリンは山岳地帯にある町で急勾配も多く、ヘアピンカーブなどを克服するためにループ、ジグザグ(スイッチバック)など、当時としては最先端の世界的に珍しい構造でできている。
正式に開業されたのは1881年だそうだ
そのトレインは車両や機関車が非常に小さく、山岳地形をのんびり走るため、おもちゃの汽車みたいだ とイギリス人が呼んだのが始まりで、「トイトレイン」と呼ばれ、1999年に世界遺産に登録された。

実はこのトイトレインに乗るのが今回のインド旅行の最大の目的だった。現地滞在されてるるカスミさんのご協力のおかげで実現できて本当に嬉しい。

「ポ―ポ―」とオモチャのような音の汽鳴らしながら、狭い道路の片すみを走ったり、道路を横切ったりして、蒸気でのんびり走るトイトレイン。
2連の車両は世界各地からの観光旅行者で満席だ。
しかし、どうも日本人は私達3人だけのようだ。


車窓には白くそびえるヒマラヤの山々が見えたり、みやげ物を売る露店が見えたり、谷に沿って立てられているたくさんのホテルが見えたりで、飽きることは無かった。
イギリス統治時代のダ―ジリンに思いを馳せて、時が流れて行った。