2013年10月14日月曜日

この本は良かった~No.3

脳科学の本ですが、全然固くなくて、解りやすく、とても面白かったです。

例えば、「英語脳と日本語脳」
英語が苦手な人は、日本語脳で英語を学んでいるとか・・・これは思い当たる節があります。
ちなみにバイリンガルの人は、英語脳と日本語脳と全然違う場所を使っているとの研究結果が出ているそうです。
私も、バイリンガルまではいきませんが、英語脳と日本語脳は完璧に場所が違うと、
両方の言語を話す時に感じることがあります。
(性格まで変わります)

また、アメリカでは、唾液をちょっと送ると、DNAの詳細な結果が送ってもらえるそうで、
料金も99ドル(9000円ぐらい)とスゴーく安い。
自分の先祖がどこから来たかとか、今後かかるであろう病気の事まで、
怖いくらい詳細にわかるそうですよ。
日本からも送れそうですので、そのうちにやってみようかなー(*^_^*)



2013年10月13日日曜日

熊日に投稿しました

久しぶりに、熊日に投稿しました。
前回の分は、朝日新聞の「声」欄に掲載されて、ラッキーでした。
今回はどうかなー?
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      「水俣水銀条約会議」と劇的再会

先日開かれた「水俣水銀条約外交会議」のボランティア通訳として、上通のブースに
待機していた時のことだった。

「アラー!!」と目を丸くして近付いて来たのは、高校2年時の
クラスメートのMさんであった。

「まぁ、久しぶりー!!」と近寄ろうとしたその時、彼女の目がさらに丸くなり、今度は私の
背後に注がれた。

「イヤー、kさんじゃなかね!!」と近寄る彼女の視線の先には、何とこれまた懐かしい、
もう一人のクラスメートが立っていたのだった。

この不可思議としか言い様のない再会は、あの恩師のお導きだったのだろうか。

その恩師とは、高校2年時の担任の先生で、水俣病の患者救済のため献身的に活動された、
故本田啓吉先生である。

私達生徒には、水俣病の活動については殆ど話されることはなかったが、
毎回の素晴らしい授業、そして深い人生哲学からほとばしる日々の指導に、
まるで背中で語る父を慕うかの如くに敬愛した私達だった。

「水俣病の署名運動かな、と思って来てみたのよ」、「私も募金活動かな、と思って寄ってみたの」、と二人が言う。

かく言う私は、「通訳として協力したら、天国の本田先生は喜んでくださるかなー」と思ったのが、
今回のボランティアの切っ掛けであった。

私達3人にとって、水俣病と本田先生は今でも表裏一体で、
「何かあれば出来る範囲で協力したい」との思いも共通しているらしい。

世界で初めての水銀条約締結の日が、さらに感慨深き日となった一日だった。

2013年10月11日金曜日

水俣水銀条約 国際会議でボランティア通訳


水俣病の原因となった水銀の取り扱いを規制する国際条約「水俣条約(Minamata Convention on Mercury)」についての会議が、7日から11日の日程で開かれました。
国連環境計画(United Nations Environment Programme、UNEP)主催の国際会議で10日に条約が採択されました。

 水銀を国際的に規制する条約は世界初です。
この歴史に残る国際会議で、ボランティア通訳としてお手伝いできた事を、本当に誇りに&幸運に感じました。



9日(水)は熊本駅、11日(金)は上通りに配置されました。
他のボランティア通訳さん達との出会いも、貴重なものとなりました。

150ヶ国から約1000人もの関係者が集まった,一大国際会議でした。
閣僚級の方達も多く、やはりエキサイティングな雰囲気が感じられた、熊本市中心部でした。
中にはこんな風に、喜んで写真を取ってくださる方達もいらっしゃって、
「その写真を絶対に送ってください!」とメールアドレスまで交換するケースもありました。


上の方と同じアフリカのコンゴからの御参加でした。

2013年10月8日火曜日

もっとアフリカ

夏の余韻がまだ色濃く残る10月5日(土)に、久しぶりに「KSN国際交流クラブ」の集いをしました。
今回のゲストスピーカーは、アフリカのナイジェリア出身のチケさんです。
「日本に住むのは長年の夢でした。」と語られるチケさんに、アフリカの(ナイジェリア)について、
良い点も悪い点も含めてのお話を伺いました。


 「日本と聞くと、アフリカ人はとても尊敬の念を持っています。それは、高度な技術を持ちながらも、古いオリジナルな文化もたくさん残っているからです。イギリスの植民地だったこともあって、ナイジェリアにはオリジナルな文化は殆ど残っていないんです。」
とのお話から始まりました。



アフリカ全体のお話もありました。

アフリカ中西部に位置するナイジェリア




イボ族の独立戦争時の子供達は、食糧不足で飢餓に陥った。
独立は失敗に終わった。




ゲーム等はなくても、自然の中で楽しく遊ぶ今のナイジェリアの子供達



賄賂が公然とはびこるナイジェリアの政治。政治家達は自分の懐を肥やすことに熱心で、
庶民の貧困をよそに、こんな大邸宅に住んでいる



政治から見放された国民の多くは、こんな貧しい暮らしをしている



しかし、どんなに貧しくても、「人生を楽しむこと、家族を愛すること」をアフリカ人(ナイジェリア人)は忘れない。
毎年30000人以上もの人が自ら命を落とす日本だが、「何でも揃っている日本なのになぜ?
アフリカ人は人生を捨て去ることは先ずない」と語るチケさんでした。


「生活がどんなに苦しくても、人生を楽しむことを忘れない・・・そんな生き方に感動しました」といった感想も飛び交った、楽しい茶話会でした。
   
Thank you very much for your attendance, everyone.