今日はいよいよ投票日!
朝7時ぐらいから10時ぐらいまで、ガーデニングをした後投票に行って来ました。
投票所には、役場関係の顔がズラリ・・
投票券を出すと、「・・・・さんですね」と大きな声で確認をされた。ちょっと恥ずかしい感じがしてしまう。
いつものことであるが、投票所の雰囲気はどうにかならないものかと、感じてしまう。だいたい、あんなに大勢の人達が見守る必要があるのだろうか? 半分の人数で良さそうなものである。
さて、投票用紙をもらい、台に行って○のハンコを、古川候補の名前の上に押した。
そしたら、どういうわけか、万感胸に迫り胸キュンとなってしまった。(´∀`)
暑い最中に突然来られた先生、そして
「町長選に出るので応援してください」
それから約2週間後、また突然来られ、
「後援会長になってください」
その日から、「今までに経験したことのないような選挙」が始まった。
「選挙対策会議」、「総決起集会」、「出陣式」、「戸別訪問」、「遊説カー」・・・
スクール運営も普通にやりながら、よくこなしたものだ。
自分を誉めてあげたい気持ちである。
熊本,菊陽町の田舎に住んでいます。 どういうわけか、田舎にありながら、英語スクールを営み、 興味は常に外国にあり、異文化交流が大好きな私です。 出会い、発見、日々感じる事、諸々の発信です。 よろしくお願いします。
2014年9月28日日曜日
2014年9月25日木曜日
今年で最後の風景
自宅裏に広がる、美しい田園風景です。
田んぼの水が、曼珠沙華の赤を美しく映し、ため息が出るほどの美しさです。
でも、この風景も今年が最後となりました。
ミニ開発が決まり、14棟の民家が建つことになりました。
先祖代々から伝わる田んぼを売るのには、抵抗がありましたが、
日本農業の将来、地域活性化のため、後継者がいない・・・
等などの理由から手放すことを決意しました。
観音様は公園になり残ります。
この風景は捨てがたいですが、「一つを取れば一つを失う」の覚悟は出来ています。
結論は、日本の農政のビジョンの無さが招いた結果、ということになりそうです。
菊陽町 町長選レポート②
選挙カーでのキャンペーン2日目を迎えました。
今日は各地域での、古川候補の街頭演説が中心でした。
台風の影響で雨の多い天気でしたが、それでも家の中から手を振ってくださったり、雨も気にぜず外に出て来てくださる人も多かったです。
やはり、ドクターとして慕われている古川先生の威力が発揮される日でした。
私の住む地域でも8人が集まって下さり、私のスピーチ、協力町議員のスピーチと、なかなか内容のある街頭演説会でした。
私も、地元ではなるべく目立たないように大人しくしていますが、
もうこれで遠慮しなくて良さそうです(´∀`)
2014年9月23日火曜日
菊陽町 町長選レポート①
今日は菊陽町 町長選の出陣式がありました。
まず、古川先生の地元にある「若宮神社」という、由緒ある大きな神社で神事が行われました。
その後、ドクター古川のクリニック駐車場で、出陣式が行われました。
古川先生も私も、生まれて初めての経験で戸惑うことばかりでしたが、
会場は約100人の支援者が集まり、私達のスピーチに熱心に耳を傾けてくださいました。
その後、皆さんの拍手の中、選挙カーで出発しました。
第一日目の今日は、町をくまなく回りましたが、なかなか反応が良く、とても嬉しく感じました。
確かに疲れた一日でしたが、町全体の様子が分かり、とても面白い一日となりました。
がんばりまーす!
後援会の会長としてオープニングスピーチをさせていただきました。
知ってる人ばかりだったので、ちょっとやりにくかったです (o´Д`)=з
2014年9月16日火曜日
町長選~総決起集会
先日、菊陽町 町長選に出馬される「ドクターF」の総決起集会が
行われました。
後援会長を仰せつかっている私も、もちろん大役を果たさないと
いけません。
オープニングスピーチをしましたが、久しぶりにビッグ クラウドを前にして、ちょっと緊張しました。
こういう時は、日本語で話していても思考は英語になっているせいか、けっこうアピール力があったようです(´∀`)
「ドクターF」のプレゼは、御自分が毎朝されている「辻立ち」を再現され、BGMで心臓の鼓動が聞こえたり、雷が鳴ったりして、ユニークさ際立ってまして、さすがでした。
客席の皆さんは、終わってもしばらく席を離れがたい様子で、すっり感動された様子でした。
菊陽町の、この新しい波動が勝利をもたらし、より良い町作りができますように!!
総決起集会の動画はこちら⇒「総決起集会メモリー」 (クリック)
行われました。
後援会長を仰せつかっている私も、もちろん大役を果たさないと
いけません。
オープニングスピーチをしましたが、久しぶりにビッグ クラウドを前にして、ちょっと緊張しました。
こういう時は、日本語で話していても思考は英語になっているせいか、けっこうアピール力があったようです(´∀`)
「ドクターF」のプレゼは、御自分が毎朝されている「辻立ち」を再現され、BGMで心臓の鼓動が聞こえたり、雷が鳴ったりして、ユニークさ際立ってまして、さすがでした。
客席の皆さんは、終わってもしばらく席を離れがたい様子で、すっり感動された様子でした。
菊陽町の、この新しい波動が勝利をもたらし、より良い町作りができますように!!
総決起集会の動画はこちら⇒「総決起集会メモリー」 (クリック)
秋のめぐみ
マイガーデンには、大きな柿の木が2本あります。
剪定して3年目になる今年は、実をいっぱい付けてくれました。
この時期になると、「ポタッ ポタッ」と甘くなった実を毎日落としてくれます。
下が芝生なので、落ちた実も形を崩さず、綺麗な柿のままなのです。
熟して柔らかいこの柿たちを口に運ぶ時、初秋の香りと甘さで幸福感いっぱいになる朝に感謝しています。
Dear persimmons.
Birds and I are sharing your sweet gifts every morning.
By doing that, I feel I am just one part of the Great Nature.
大きな柿の木が2本あります
柿の実はビタミンCの宝庫
毎朝、拾って食べてまーす
2014年9月13日土曜日
菊陽町~これでいいの?
2年前の「九州北部豪雨」の「今までに経験したことのない大雨」の恐ろしさは、今だ記憶に新しいところです。
先日、その時に「床上浸水」にあわれた、白川のすぐそばのお宅にお邪魔して、お話をうかがう機会がありました。
「水が引いた後は特に大変でした。だって床も畳も、どこもかしこも泥に埋まっていたのですから・・」
町からの援助はなかったか、とお聞きしたところ、
「担当課から、『今日は直々に町長がお見舞いに来られます。そのおつもりで・・』といった感じの連絡がありました。それはまるで『正座してお迎えするように』という風にも聞こえたのです。
それで、町長が各課長をズラリと従えて、家に来られた時には、私達は泥だらけの床上に、正座して迎えたんですよ」
「そして町長から、お見舞い金をいただきました。5万円でした。本当はお金ではなくて、泥出し等を手伝ってくれるボランティアが欲しかったんです。『お金よりボランティアを派遣してください』との言葉が喉まで出かかりましたが、こらえました。やはり、お金は要りますから、そんな事を言う勇気がありませんでした。」
では、復旧作業はどうしたのかと尋ねると、
「近所の方達が手伝いに来てくださいましたが、やはり気が引けるので、ほとんど自分達で泥出しや掃除をしました。災害の後片付けって、本当に重労働で大変なんです!
夏休みでもあり、募集したら大学生とかがたくさん来て下さったかもしれないのに、町はそういう手配は何もしてくださいませんでした。」
結局お金もずい分かかりましたよ。床を張り替えたり、畳を変えたりして、400万円ぐらいかかりました。」
その時の悔しさを滲ませつつ話されるのを聞きながら、
私はある事を思い出していた。
それは、町の被害の状況をニュースで知ったアリ知り合いが、「災害ボランティアをしたい」と言って、町に電話をしたそうだが、「受け入れ態勢ができていない」と断られたのだった。
その後、緊急時の災害ボランティア派遣制度とかの体制作りは進んでいるのだろうか?
どうも゛NO"のようである。
町の多くの局面で、「前年通り」の行政では立ちゆかない、住民の声が潜んでいるように感じた。
先日、その時に「床上浸水」にあわれた、白川のすぐそばのお宅にお邪魔して、お話をうかがう機会がありました。
「水が引いた後は特に大変でした。だって床も畳も、どこもかしこも泥に埋まっていたのですから・・」
町からの援助はなかったか、とお聞きしたところ、
「担当課から、『今日は直々に町長がお見舞いに来られます。そのおつもりで・・』といった感じの連絡がありました。それはまるで『正座してお迎えするように』という風にも聞こえたのです。
それで、町長が各課長をズラリと従えて、家に来られた時には、私達は泥だらけの床上に、正座して迎えたんですよ」
「そして町長から、お見舞い金をいただきました。5万円でした。本当はお金ではなくて、泥出し等を手伝ってくれるボランティアが欲しかったんです。『お金よりボランティアを派遣してください』との言葉が喉まで出かかりましたが、こらえました。やはり、お金は要りますから、そんな事を言う勇気がありませんでした。」
では、復旧作業はどうしたのかと尋ねると、
「近所の方達が手伝いに来てくださいましたが、やはり気が引けるので、ほとんど自分達で泥出しや掃除をしました。災害の後片付けって、本当に重労働で大変なんです!
夏休みでもあり、募集したら大学生とかがたくさん来て下さったかもしれないのに、町はそういう手配は何もしてくださいませんでした。」
結局お金もずい分かかりましたよ。床を張り替えたり、畳を変えたりして、400万円ぐらいかかりました。」
その時の悔しさを滲ませつつ話されるのを聞きながら、
私はある事を思い出していた。
それは、町の被害の状況をニュースで知ったアリ知り合いが、「災害ボランティアをしたい」と言って、町に電話をしたそうだが、「受け入れ態勢ができていない」と断られたのだった。
その後、緊急時の災害ボランティア派遣制度とかの体制作りは進んでいるのだろうか?
どうも゛NO"のようである。
町の多くの局面で、「前年通り」の行政では立ちゆかない、住民の声が潜んでいるように感じた。
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