「大友旅人」と「菅原道真」の二人は、この最果ての西国 大宰府で、人知れず流す涙は尽きない日々を過ごしたのでした。
・・・727年ごろに太宰府に長官として赴任してきた大友旅人は
悲しみのなか亡き妻を忍んで詠んだ歌は13首にもなるそうだ。
世の中は 空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり(巻五・七九三)
・・・その後約180年後、身に覚えのない罪を着せられ、流罪同
菅原道真の住まいも坂本神社から遠くない場所にあったらしい。
役職はあるものの、名ばかりで、実際は雑草がおい茂るあばら家に
都に自分の無実を訴え続けるも、その声が届くことはなく、失意の
あしびきの こなたかなたに道はあれど 都へいざといふ人ぞなき (古今和歌集 1690)
夏日に光る田園風景さながらの太宰府政庁跡を散策していると、山
心和みました。
深い悲しみを湛えた二人の偉人達も、似たような景色を眺め、しば
そんな万葉の時代に思いを馳せたひと時でした。