2019年7月31日水曜日

「令和」の原点を訪ねて

今回の聖地巡りでは、それまで全く知らなかった二人の偉人の哀しみに触れることができました。
「大友旅人」と「菅原道真」の二人は、この最果ての西国 大宰府で、人知れず流す涙は尽きない日々を過ごしたのでした。

・・・727年ごろに太宰府に長官として赴任してきた大友旅人は、赴任早々最愛の妻を失くす。
悲しみのなか亡き妻を忍んで詠んだ歌は13首にもなるそうだ。

世の中は 空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり(巻五・七九三)

・・・その後約180年後、身に覚えのない罪を着せられ、流罪同然の左遷で太宰府に赴任してきた
菅原道真の住まいも坂本神社から遠くない場所にあったらしい。
役職はあるものの、名ばかりで、実際は雑草がおい茂るあばら家に「外出禁止」の監禁状態。
都に自分の無実を訴え続けるも、その声が届くことはなく、失意のうちに約2年後に息を引き取った。

あしびきの こなたかなたに道はあれど 都へいざといふ人ぞなき (古今和歌集 1690)

夏日に光る田園風景さながらの太宰府政庁跡を散策していると、山からの清流が注ぎ込むお堀、平和に群れ飛ぶトンボの姿に
心和みました。
深い悲しみを湛えた二人の偉人達も、似たような景色を眺め、しばしの癒しを得たのでしょうか。

そんな万葉の時代に思いを馳せたひと時でした。




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