2015年7月29日水曜日

興味深いお話シリーズNo48.~「ラバウル小唄 が繋ぐ人間交流」

先日の「ラバウルの祖父が語った戦争」の集いは、とても心に残るものでした。
実はその時に、もうひとつの意外な事実が明らかになったのでした。
その事実とは・・・

私)フランシスさん、先日の集いは大変お世話になりました。
おかげで「戦後70年」に相応しい、心に残る集いとなり、主催者としても感謝しています。

F)私の方こそ緊張しましたが、生涯の記念になる経験をさせていただきましたし、またとても楽しかったです。

私)それは良かったです。
ところで、打ち合わせの時に、当時盛んに歌われていた「ラバウル小唄」をお聞かせしましたが、「私、この歌知ってます!!」とビックリされてましたね。

F)そうなんですよ!最初は分からなかったんですが、2度3度と聞いているうちに思い出したんですよ。

実は、私の兄はラバウルでプロの歌手でして、ホテルやクラブ等で歌ったり、CDを出したりしているんです。
そのCDのひとつに、この歌を歌ってるのがあるんですよ!

私)そう言われてましたね。そのお兄さんには、お祖父さんが「ラバウル小唄」を教えられたそうですね。

F)そうなんですよ。祖父も、兄が歌がうまかったからでしょうか、よくこの歌を歌って教えてましたよ。
今回、この歌を聞かせてもらって、祖父も兄も完璧な日本語で歌っていると分かりました!
ユーチューブにもアップしてますから、ちょっと聞いてみてください
  https://www.youtube.com/watch?v=A10stUBBco0
    (お聞きになりたい方は、クリックしてください)



私)(お兄さんの歌を聞きながら・・)
  本当ですね!少し変な日本語になっている箇所もありますが、ほぼ完璧ですね!
リズムもアップテンポで踊りたくなる気分です(*´∀`*)

これは、意味も理解して歌われているのでしょうか?

F)いいえ!「さらば ラバウル」というのが「バイ バイ ラバウル」という意味だとしか知りません。後はただ歌っているだけです(^-^)

今度の集いで歌詞を訳していただいたでしょう、それで私も「えー、そんな意味だったんだ」と解った次第です。(笑)

兄にもさっそくメールで意味を伝えておきました。

私)(笑)お役に立てて嬉しいです。
ところで、お祖父さんはこの歌を、きっと日本兵から習われたのでしょう?

F)そうだと思いますよ。
戦争が終わってから日本に帰るまでにある期間がありましたので、現地の村に遊びに来て、現地人と仲良くなった兵士も多かったそうです。きっと私の祖父も、仲良くなった日本兵がいたのでしょう。

私)日本の有名な漫画家に「水木しげる」ていたんですけど、その人もラバウルに一兵卒として送り込まれたんです。
オーストラリアやアメリカとの悲惨な戦いの中にあっても、現地人との交流があったみたいです。
「水木しげる」が書いた「ラバウル戦記」を読んだんですけど、その中にこんな事が書いてありました。
「・・・いよいよ、土人達と別れる時が来た。・・・イカリアン(土人の名前)は『日本に帰ってはいけない。お前この部落の者になれ』と言う。するとみんな『そうだ、そうだ』『お前がここに残るなら、畑も作ってやろう、家も建ててやろう、踊りも見せてやろう』と口々に言ってくれる。・・・」

水木しげるも、本気で残ることを考えたそうですが、結局帰らざるを得なかったそうです。
彼によると、「心の楽園を見た」そうで、「物がなくても楽しい本当の人間の生活を見た」そうです。

F)本当に感動的なお話ですね。そんなにラバウルのことを好きになって下さって、嬉しいです。

私)私も感動しました。戦争という極限状況だから、余計に現地人の優しさが身に沁みたことでしょう。

F)でも、もう戦争は懲り懲りです

私)同感です















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