私も偶然に、パプアニューギニアのラバウル出身の熊本大学院生Fさんと、お話する機会がありました。
最初は戦争の事などお聞きするなんて思いもしなかったのですが、やはりいつの間にか、話題は第二次世界大戦時のお話しになりました。
私も戦後生まれで、戦争中の事は殆ど何も知らないし、習ってないし、聞かされていませんが、
やはり「起きてしまった事」、「過去に現実としてあった事」として、また日本人として素通りするわけにもいきませんし、またしたくありません。
ドイツのメルケル首相が日本訪問時に指摘したように、「歴史の直視」は重要です。
そしてそんな過去を見つめることにより、未来へ向けしっかりと学ぶ事ができると思っています。
F)パプア ニューギニアのラバウルから来ましたFです。よろしくお願いします。
私)パプア ニューギニアは英語が公用語なのですね。
F)はい、1884年にイギリス領土になりまして、その後すぐにオーストラリア領土となりましたので、その時から英語がずっと公用語です。
私)そうなんですね。でも、第2次世界大戦中は日本軍が占領していたと聞いていますが・・・
F)そうです。全土ではなく、占領地域は小さかったのですが。
私の家の近くにも日本軍が掘った大きな地下壕がありまして、子供の時はその中で遊んだりしてましたよ。
銃や刀、爆弾や銃弾等がいっぱい隠してあって、そのまま残ってました。それを使って、皆で遊んだりしてたんです。今思うと、とても危険なことで冷や汗が出そうです。
私)えー!そんな事されてたんですか! それにしても、武器をそのまま残して日本軍が引き上げた時の様子が、目に浮かびそうですね。
F)日本軍はそんな地下壕をニューギニアの至る所に、何千と作ってました。入口は狭いですが、ちょっと入るとすごく広くなってまして、その中には戦車や、飛行機も隠してあった地下壕も多かったんです。中には「金」も隠してあったりしたそうです。ニューギニアには金がありませんから、どこか他所の国から持って来てあったのでしょう。
ジャングルの中で、敵に見つからないように、地下壕の中で全てをやっていたんですねー。
私はニューブリテン島のラバウル出身ですが、日本軍が侵攻してきた時の様子は、祖父からよく聞かされてました。
私) もしよろしかったら、お祖父様のされたお話を私にもお聞かせ願えませんでしょうか?
F)日本人にとって聞き辛いことも出てきますが、宜しいんでしょうか?
私)今年は「戦後70周年」でもありますし、言わば歴史の負の部分を見つめることで、未来に向けての大切な事を学べると思っています。
ドイツのメルケル首相も、「近隣諸国との関係改善は、過去を直視することから」と指摘しています。
F) 私も同感です。では、数年前に亡くなった私の祖父が、孫達に語っていたことを、かいつまんでお話しますね。
祖父が20歳だった頃、ある日突然、日本軍のたくさんの飛行機がラバウルに飛んできたそうです。
当時のニューギニアはまだ未開の地で、人々は自給自足の原始的な生活をしていましたから、飛行機も何も知りませんでした。
だから、祖父も皆も「見たこともない鳥が飛んでいる」と思ったそうです。
私)面白いですねー
F)その後、たくさんの日本軍が空からやって来ました。そして滑走路を先ず作り始めたそうです。日本は、ラバウルに飛行場を作って、そこを「供給基地」にする計画だったのです。
私)そうだったんですねー
F)祖父達は、ある日突然やって来た日本軍をとても怖がりました。と言いますのは、自分達の言うことを聞かない住民達を刀で切り殺したり、銃殺したりするのを目撃したからです。
それで、怖がったラバウルの住民は殆どが村を逃げ出したそうです。
私)それは何年の頃だったのでしょうか?
F)1942年だったと聞いています。
その頃までには、日本はマーシャル諸島を制して凄い勢いでしたから、オーストラリアもとても日本を恐れていました。
ラバウルに侵攻した日本をニューギニアで食い止めるべく、オーストラリアは要塞としてのニューギニアで日本と戦いました。
ニューギニアの南部にオロという所がありますが、そこで激しい戦いが繰り広げられました。
約4ヶ月間に渡る戦いは、日本軍の壊滅で終わりました。
私)本当に痛ましいですね。
F)日本軍は戦いでも命を落としましたが、それ以上に「マラリア」で多数の兵士が命を落としました。
ジャングルに向けて何の特別装備もなく侵攻したため、蚊に刺され、あっと言う間に「マラリア」にかかったそうです。本当に可愛そうでした。
アメリカ軍により供給路も絶たれてましたので、食糧難も相当なものだったようです。
私)本当に、言葉が見つからない位に気の毒です。
F)ラバウルの隣町ココポには日本政府が建てた、戦争博物館があります。
敷地内には、多くの地下壕から回収された高射砲や戦車、魚雷、戦闘機などが展示してあります。
そこには、オーストラリアやイギリス、アメリカ等からたくさんの観光客が訪れて、「何故こんな悲惨な戦争が起きたのか」、「いったい何が間違っていたのか」、また「もう2度と戦争はすまい」と,色々なことを考え、学ぶ場所となっています。
また、地下壕を実際に訪れるツアーも人気があります。
日本からもたくさんの方達が来られていますが、もっと多くの日本人、特に若い方達に来ていただいて、戦争の惨さ、平和の貴さを実感していただきたいです。
私)私も機会があったら、行ってみたいですね。
ところで、ニューギニアでは対日感情はどうなのでしょうか?
F)確かに、祖父達の世代は日本嫌いの傾向がありましたが、私達の若い世代になると日本ファンが多いです。
JAICAを通しての道路、橋等のインフラは全て日本の援助によるものですが、それも対日感情を良くしています。
特に私などは、日本のおかげで奨学金をいただいて、こうやって熊本で学ばせていただいております。皆さんにもとても親切にいていただいております。日本大好きで、心から感謝する日々です。
留学が決まった時は、「やったー!日本に行ける!」と、本当に嬉しかったですよ。
私)それを聞いて少し安心しました。
今日は貴重なお話、本当にありがとうございました。
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