2025年11月15日土曜日

インド旅ストリー10

★日の出とヒマラヤ

ダージリンに来たら逃せない場所として、日の出に照らされるヒマラヤが見える展望スポット、タイガ―ヒル(Tiger Hill)がある。
標高 約2,590 m(ダージリン市街より約300m高い)所にあり、タクシーで行くことにした、というかタクシーしかないのである。または現地ツアーはあるだろうが、個人旅行としてはタクシーが好ましく、価格も手ごろだ。
カスミさんの努力で割安でタクシーが手配できた。
出発したのは朝4時と、日本の私では考えられない出発時間なのだが、そこは外国時間というか、外国では不思議と平気な私である。
気温は5度ぐらいで、寒さに身を縮めながらタクシーに乗り込むと、窓が空いている!
「すみません、寒いので窓を閉めてもらっていいですか」と夫が言うと、「窓を全部閉めると私が眠くなるんですよね~、それと暖房もありませんのでok?」との答えで、運転手の後ろに座った私の前の窓は空いたままで現地まで走った。確かに寒かったが、それより眠さが先に立ちウトウトしているうちに現地に着いた。
ヒルの上は日の出もヒマラヤも見渡せそうだ。しかしもう人、人、人でいっぱいだ!

まだ見えないヒマラヤの位置を憶測で定めてスマホを用意して、日の出を待った。
日の出が少しづつ近付くと、空に浮かんでいた雲らしき物が周囲の空の色の変化と共に、山々の形を現していった。
うすい水色からうすい黄色、そしてうすい桃色から少し濃い桃色へと変化していく。
最後には日の出に輝くヒマラヤの山々、そしてその中で最も高い
カンチェンジュンガ(世界3位の高さ)がひときわ崇高に輝いている。
また少し左に離れた向こうには、エベレストも顔を出している!
こんなスペクタクルな自然の妙に、夫婦で身を置くことができて本当に幸運であった。


















インド旅ストリー9

★トイトレイン


1800年代も終わり頃になると、イギリス統治下のインドのダ―ジリンは避暑地(Hill Station)として、人口も増え交通の改善が必要になった。また、茶葉産業も急拡大し効率的な輸送が急務となつていた。そんな中でヒマラヤ鉄道の建設が計画されたのだった。
歩いたりタクシーに乗ったりしていると、幅のせまいレールが町中の狭い道路の片すみの至る所を走っている。また時には横断もしている。もちろん遮断器はない。
線路は単線で、トレインはそんなに頻繁には走らないので、人が線路の上を歩くのも全く普通のことなのは、驚きとともに微笑ましい。
ダ―ジリンは山岳地帯にある町で急勾配も多く、ヘアピンカーブなども克服するためにループ、ジグザグ(スイッチバック)など、当時としては最先端の世界的に珍しい構造でできている。
正式に開業されたのは1881年だそうだ
そのトレインは車両や機関車が非常に小さく、山岳地形をのんびり走るため、おもちゃの汽車みたいだ とイギリス人が呼んだのが始まりで、「トイトレイン」と呼ばれ、1999年に世界遺産に登録された。
実はこのトイトレインに乗るのが、今回のインド旅行の最大の目的だった。現地滞在されているカスミさんのご協力のおかげで実現できて本当に嬉しい。
「ポ―ポ―」とオモチャのような音の汽鳴らしながら、狭い道路の片すみを走ったり、道路を横切ったりして、蒸気でのんびり走るトイトレイン。
2連の車両は世界各地からの観光旅行者で満席だ。どうも日本人は私達3人だけのようだ。
車窓には白くそびえるヒマラヤの山々が見えたり、みやげ物を売る露店が見えたり、谷に沿って立てられているたくさんのホテルが見えたりで、飽きることは無かった。
イギリス統治時代のダ―ジリンに思いを馳せて、時が流れて行った。












インド旅ストリー8

★ダ―ジリンの歴史
昨日(13日)から北部のダ―ジリンに滞在している。
ホテルの窓からは雪をかぶったヒマラヤの山々が、白く輝いてそびえ立っている。そう、ここはヒマラヤ山脈の足元なのだ。
ここでダ―ジリンの歴史を紐解いてみよう。
1835年、イギリスは避暑地として利用するために、当時あったヒマラヤ国からダージリンを「譲渡」された。しかし実際は半ば強制的に獲得したとみなされてもいる。
それ以来、イギリスの行政官や軍人が夏に暑さを避けるため滞在するようになり、ヨーロッパ式の建物や教会、学校が建てられた。
そしてダ―ジリンは「ヒマラヤの女王(Queen of the Hills)」と呼ばれるようになった。
昨日ランチを食べに行った時に、古いイギリス式レンガ造りの建物の学校があった。植民地時代の名残りだろう。
また、昨日利用した超距離タクシーの運転手さんはクリスチャン(キリスト教徒)で、ダ―ジリンにはクリスチャンが多いそうだ。これもイギリス統治の影響か。
ダ―ジリンと言えば紅茶である、私も好きだ。
どうしてここが紅茶の名産地になったのだろう。

その当時イギリスは中国への依存を減らすため独自の紅茶生産地を探していたという。どこか現代にも見られる国策で面白い。
ダージリンは気候がお茶栽培に適し、後に大規模なプランテーション化へと進み、イギリスは茶の輸出で大きな利益を得ていく。また、多くのネパール系住民が労働者として移住し、今のダージリンの民族構成の基盤が形成されたそうだ。
歴史は流れ1947年にインドが独立すると、ダ―ジリンはインド領となり今に続いている。

2025年11月14日金曜日

インドの旅ストリー 7

今日(11月12日)はいよいよタ―ジ・マハルに行く日だ。
今回の旅の最大の目的の一つで、本当に楽しみである。
昨日のうちにジャイプールから移動して来て、タ―ジ・マハルのすぐ近くに宿を取ったので歩いて行くことができた。
ホテルの前は個人の色々なお店が並び、ウンザリする客引きの声かけを無視してひたすらに歩くこと15分。
いよいよタ―ジ・マハルの壮麗な門が見えてきた。
ボディーチェックやバッグの中まで一応調べるのは、2日前に起きたテロの爆破事件の影響か。
チェックを無事に通過しゆっくりと歩みを進めると、目前に太陽の陽に輝く真っ白なタ―ジ・マハルが姿を現した!
写真では何度も見たことはあるが、その芸術性. 美しさは見る者を圧倒する。
完璧な左右対称、どの角度から見ても全く同じ総大理石作りという贅沢さ、大理石には象嵌細工が施され、花やアラビア文字(コーランの詩句)が美しく描かれている。
庭園もイスラームの「天国の庭」を表す庭園形式で構成されており。中央に伸びる青い池が白い大理石とコントラストをなしている等等、魅力は数え切れない。
この建物の中心、そして左右対称の中央線の通る所に王と王妃のお墓が静かに並んでいた。
ここでこのお二人についてのストリーを紹介したい。

ムガ―ル帝国の第五代皇帝のシャー・ジャハーン王は、王妃ムムターズ・マハルをこよなく愛していた。王妃は側近として政治的助言を与え、戦地にも同行するほどの信頼を得ていた。
ところが、ムムターズ(宮廷の光という意味)は14人目の子を出産中に亡くなつた。
深く悲しんだ皇帝は「この世で最も美しい墓を建て、彼女の思い出を永遠に残す」と誓うのだった。
その結果、誕生したのがタージ・マハルなのだ。 
タージ・マハルは「永遠の愛の象徴」と呼ばれ、世界中で愛の聖地として尊ばれているゆえんである。

2025年11月12日水曜日

インドの旅スト―リー 6

昨日からジャイプールに来ている。
グルガオンから車で約4時間かかった。
グルガオンからジャイプールに伸びる高速道路が約7年前にできたおかげで、渋滞から解放された本来の高速のスピードで走ることができて助かった。
車窓にはどこまでも、どこまでも続く、山が全くない広大な平野が続く景色を堪能できた。しかもその平原のほとんどは農地だった!

調べてみると、インドは国土の約半分が農地でGDPの17‰は占める重要な産業だそうだ。また米や小麦の生産量は世界第2位だそうで、これも全く知らなかったので驚いた。
日本のような耕作放棄地は全く見えない。
また、日本と大きく違う田園風景は農業機械がほとんど見えないということだろう。たまにトラクターが耕作しているのを見かけるだけで、あとは人間が手作業をしているのが見えるだけだった。
ここにも豊富な農業労働力を垣間見ることができた。

もう一つ大きな違いに気がついたのは夫であった。
「どうしてあんなに木が多いのだろう? 日陰があると作物はよく育たないのに、、、」
夫が調べたところによると、農地に低い木が点在するのは主に「アグロフォレストリー」(農林複合経営)と呼ばれる伝統的かつ現代的な土地利用システムだそうだ。
このシステムには、農家の生計向上と環境保全の両面で多くの利点があるそうだ。
  • 多様な林産物の供給源: これらの木は、農家にとって重要な燃料材(薪)、飼料、建設資材、そして換金作物としての木材を提供する。
  • 農業生産性の向上:
    •  木の根が土壌の浸食を防ぎ、落葉が有機物として土壌肥沃度を高める。 
    • 作物や家畜に日陰を提供し、特に暑く乾燥した地域で過酷な気候を和らげるのに役立つ。
    •  強風から農作物を守る。
    • 木材やその他の林産物からの収入が農家の経済的な緩衝材となる
  • 生物多様性の維持: 農地内に木があることで、さまざまな動植物の生息環境が提供され、生物多様性の維持に貢献する。
こんなに利点が多いアグロフォレストリーは政府も支援している。2014年に国家アグロフォレストリー政策を導入し、気候変動の緩和と農業生産性の最大化を目指して、この慣行を積極的に推進しているという。 
とても興味深い農業政策で、頑張ってほしいと思った。

そんなことを調べたり、考えたりしているうちにジャイプールのお城が見え始めた。
(アンベール城)(風の宮殿)
(水の宮殿)

2025年11月11日火曜日

インドの旅ストーリー5

「グルグラム フェスティバルと言うのが昨日からあっていて、今日は午後5:30から民族舞踊などがあってるそうですよ、行かれませんか?」
とのカスミさんのお誘いに、二つ返の"Yes"で行くことになった。
グルグラムはグルガオンと同じ都市名で、地域の祭りというところか。しかし会場はステージ発表だけのようだ。
会場に早めに着いて席に着いていると、次から次と観客が増えていった。
夫婦連れが多く、皆おしゃれをして入っ来るのを見るのは楽しく微笑ましいものである。特に女性の色々なサリー姿を見て、想像を膨らませるのはとても楽しい。

いよいよショーが始まった。
先ず伝統ダンスだった。民俗色の濃いダンスを美しいダンサーが続けて一人で4曲も、それも1時間ほど続けて踊ったので驚嘆してしまった。
次は民俗楽器の演奏と歌う、古典の歌であった。
古代から伝わる民話を歌で伝えるのだそうだ。これも1時間ほど休みなく歌うのだからすごいエネルギーと情熱である。
舞踊にしろ、歌にしろ、言葉が分からないため内容はつかめないが良いものは良い。
心に訴えかける何かを持っていて、引き込まれてしまった。
芸術は時と言葉を越えると納得した。

2025年11月9日日曜日

インドの旅ストリー 4

今日は土曜日でカスミさんは手芸の発表会があるとのことで、代わりに旦那様がガイド役をしてくださいました。
旦那様は会社から別のドライバー付きの車を与えられていますので、この日はその車で観光です。
休日のせいか、通りもいつもより若干混んでないようでした。
「今日は世界遺産クトウブミ―ナ―ルとその近くにあるもう一つの世界遺産を見に行きます」
と旦那様が言われると、初めて聞くその名前に期待が膨らみました

宿から約1時間で到着しましたが、入り口に到着すると学校の見学旅行と思われる子供達がたくさん!  その遺跡の重要さが分かります。
また1700年ぐらいの古さであるが、鉄の純度が100パーセントのため、未だに錆びていない、これまた驚異的なアイアン ピラーというのも珍しかったです。
歩いていると美しくも古い、高い石の塔がいつも目に入り圧倒されました。
これは13世紀中頃(約75年をかけて完成)作られた塔で、
高さは約73メートル(世界で最も高い煉瓦造のミナレットの一つ)だそうです。
建設は、**奴隷王朝の創始者クトゥブッディーン・アイバクで、
彼は北インドでイスラーム政権を確立した人物です。
古代の美しい遺跡の世界に浸った後は、わりと近くのもう一つのいわば水の遺産を見に行きました。
これは階段井戸と言われ、、水の確保と貯蔵を目的とした構造物で、特に乾燥地帯(ラージャスターン州、グジャラート州など)で発達したそうです。地面の深くまで掘られた井戸に、階段で降りていけるようになっているのが特徴です。

単なる井戸ではなく、宗教的・社会的な集会の場でもあったそうで、
多くは女性たちの社交場でもあり、地域コミュニティの中心的存在でした
古代に思いを馳せた一日でした。