1800年代も終わり頃になると、イギリス統治下のインドのダ―ジリンは避暑地(Hill Station)として、人口も増え交通の改善が必要になった。また、茶葉産業も急拡大し効率的な輸送が急務となつていた。そんな中でヒマラヤ鉄道の建設が計画されたのだった。
線路は単線で、トレインはそんなに頻繁には走らないので、人が線路の上を歩くのも全く普通のことなのは、驚きとともに微笑ましい。
ダ―ジリンは山岳地帯にある町で急勾配も多く、ヘアピンカーブなどを克服するためにループ、ジグザグ(スイッチバック)など、当時としては最先端の世界的に珍しい構造でできている。
正式に開業されたのは1881年だそうだ
2連の車両は世界各地からの観光旅行者で満席だ。
しかし、どうも日本人は私達3人だけのようだ。
しかし、どうも日本人は私達3人だけのようだ。
車窓には白くそびえるヒマラヤの山々が見えたり、みやげ物を売る露店が見えたり、谷に沿って立てられているたくさんのホテルが見えたりで、飽きることは無かった。
イギリス統治時代のダ―ジリンに思いを馳せて、時が流れて行った。



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