2025年11月15日土曜日

インド旅ストリー8

🌸ダ―ジリンの歴史
昨日(13日)から北部のダ―ジリンに滞在している。
ホテルの窓からは雪をかぶったヒマラヤの山々が、白く輝いてそびえ立っている。そう、ここはヒマラヤ山脈の足元なのだ。

ここでダ―ジリンの歴史を紐解いてみよう。
1835年、イギリスは避暑地として利用するために、当時あったヒマラヤ国からダージリンを「譲渡」された。しかし実際は半ば強制的に獲得したとみなされてもいる。
それ以来、イギリスの行政官や軍人が夏に暑さを避けるため滞在するようになり、ヨーロッパ式の建物や教会、学校が建てられた。
そしてダ―ジリンは「ヒマラヤの女王(Queen of the Hills)」と呼ばれるようになったという。

昨日ランチを食べに地元で人気のチベット料理のレストラン行ったが、途中に古いイギリス式レンガ造りの建物の学校があった。植民地時代の名残りだろう。


また、昨日利用した超距離タクシーの運転手さんはクリスチャン(キリスト教徒)で、ダ―ジリンにはクリスチャンが多いそうだ。これもイギリス統治の影響か。
ダ―ジリンと言えば紅茶である、私も好きだ。
どうしてここが紅茶の名産地になったのだろう。

その当時イギリスは中国への依存を減らすため独自の紅茶生産地を探していたという。どこか現代にも見られる国策で面白い。
ダージリンは気候がお茶栽培に適し、後に大規模なプランテーション化へと進み、イギリスは茶の輸出で大きな利益を得ていく。また、多くのネパール系住民が労働者として移住し、今のダージリンの民族構成の基盤が形成されたそうだ。
歴史は流れ1947年にインドが独立すると、ダ―ジリンはインド領となり今に続いている。

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