🌸ダ―ジリンの歴史
昨日(13日)から北部のダ―ジリンに滞在している。
ホテルの窓からは雪をかぶったヒマラヤの山々が、白く輝いてそびえ立っている。そう、ここはヒマラヤ山脈の足元なのだ。
1835年、イギリスは避暑地として利用するために、当時あったヒマラヤ国からダージリンを「譲渡」された。しかし実際は半ば強制的に獲得したとみなされてもいる。
それ以来、イギリスの行政官や軍人が夏に暑さを避けるため滞在するようになり、ヨーロッパ式の建物や教会、学校が建てられた。
そしてダ―ジリンは「ヒマラヤの女王(Queen of the Hills)」と呼ばれるようになったという。
また、昨日利用した超距離タクシーの運転手さんはクリスチャン(キリスト教徒)で、ダ―ジリンにはクリスチャンが多いそうだ。これもイギリス統治の影響か。
ダ―ジリンと言えば紅茶である、私も好きだ。
どうしてここが紅茶の名産地になったのだろう。



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