2013年12月4日水曜日

興味深いお話シリーズNo.34~アフリカのお葬式

今回のテーマは「お葬式」です。

私も日本のお葬式には慣れ親しんでおりますが、外国のお葬式は普段の会話にもあまり登場してきません。
先日、お父様を3ヶ月ほど前に亡くされたアフリカ出身のチケさんとお話してましたら、話題がいつの間にか「アフリカのお葬式」になっていました。
とても興味深いお話でしたので、皆様とシェアさせていただきたいと思います。

私)今週の土曜日(7日)の、国際交流クラブのクッキングの集いには参加できそうですか?

チケ)それが、亡くなった父の葬儀がちょうどその日になってまして、私もその時間帯に合わせて、日本からずっとお祈りをしますので、ちょっと出席できなくて残念です。

私)エッ、確かお父様が亡くなられたのは、3ヶ月ぐらい前だったと思いますが、まだお葬式はされてなかったんですか?

チケ)以前にもちょっとお話しましたが、アフリカでは短くて2週間、長くて1年ほど、遺体を防腐処理して安置しておくんです。その間、多くの人達が故人にお別れを言いに来るんです。

私)1年も安置されたりもあるんですね!

チケ)はい、でもお金もかかりますからね。色々な事情を考慮して、遺族が期間を決めます。私の家族の場合は、話し合って3ヶ月になりました。

私)では、お父様のご遺体は病院に安置されているのでしょうか?

チケ)いいえ、日本の葬儀会館の様な大きな「遺体安置センター」の施設がたくさんありまして、そこにはちゃんと遺体の付き添いや
お世話をする専門家もいるんです。

私)そうなんですねー!

チケ)私の兄は2週間に一度はそこを訪れて、亡き父とお話をしてきました。私がナイジェリアにいたら、私も父とお話をしに、そこをよく訪れたと思います。

私)そのお気持ち、とても良く解りますよ。
  では、その安置期間が終わって、いよいよお父様の葬儀が行われるんですね。

チケ)はい、この遺体安置期間は、葬儀準備期間とも言えるんです。アフリカの葬儀は盛大で賑やかに行われます。
先ず教会でお別れのお祈りをしますが、これは静粛に行われます。
その後、家に連れて帰ってから土葬をします。そして土葬の後、盛大に葬儀を行います。

私)その、ある長い期間遺体を安置するのは、アフリカ独自のものなのでしょうか?

チケ)いえ、西洋社会ではけっこう行われてますよ。マイケル ジャクソンもそうだったでしょう?

私)そうですねー。やはりキリスト教と関係があるのでしょうか。
ところで、お父様は家の近くの墓地に葬られるのでしょうか?

チケ)いいえ!家の敷地内に葬ります。皆で深い穴を堀り、お別れしながら葬るのです。
   父は母と市内に住んでいましたが、田舎にふる里があり、家もあるので、その家の敷地内に葬ります。それが一般的です。墓地に葬られるのは、普通は家が無い人です。

私)えー、それは驚きです!言わば、お庭に葬られるのですね!
  アフリカ人って、故人を本当に大切にするんですねー。
  いつかアフリカのお葬式の動画を見せていただきましたが、凄く賑やかな、まるでお祝いの様なんですね!

チケ)そうですね。大勢の人達がそれぞれの伝統的な音楽を演奏したり、踊ったりするんです。
何年も会ってない友達や親戚も集まるし、とても盛大です。

私)日本人の感覚から言うと、お葬式にお祝いのように騒ぐのは憚られますが・・・・

チケ)私達も、まだ若い人とか子供とかが亡くなった場合は、葬儀の時も悲嘆にくれてシンミリとなりますが、父のように天寿を全うした人の場合は、「天国に召された」との意味もあり、悲しみを通り越して、お祝いのような気持ちになるんです。皆が寄って、楽しい時間を過ごすのを見て、父も喜ぶことでしょう。

私)そうですね、仏教的に言えば「来世への飛翔の時」とも言えそうです。その考え方も参考にさせていただきたいと思います。ありがとうございました。





2013年12月3日火曜日

クリスマス イルミネーション in my garden



今年もマイガーデンにクリスマス イルミネーションを飾りました。
「ヨーロッパ」と名のついた木も、昨年よりちょっとだけ背が高くなり、その分ツリーの高さも増して
カッコ良くなりました。
チューブライトは、アーチや手前のツツジや山茶花に這わせてちょっと野性的&大胆にしました。

でも、このイルミネーションを見ていると、どことなく明るい気分になり、
パワーが出てくるようで、そこが気に入っている私です。


video

ジョン レノンに捧げる歌

*この原稿は朝日新聞に投稿したものです。
 でも、ブログに公開すると載せてもらえないそうです。
 次回からは、ずっと後で公開しよっと!!(^_^)


私も幸運にも、福岡で行われたポール マッカートニーのコンサートを見に行くことができた。
あれから一週間経った今も興奮冷めやらず、余韻に浸る日々を過ごしてる。

特に今は亡きジョンレノンに捧げられた歌は、一段と心深く染み入った。

「次の歌はジョンに捧げます。彼が生きていたらきっとこんな会話をしていたことでしょう」
と、美しいギター演奏とともに、ポール特有の澄みきった歌声が静かに流れ出した時、

私は昨年訪れたリバプールの、ある教会のことを思い出していた。

その教会は、ジョンレノンが住んでいた、彼の叔母さんの家の近くにあり、
まだ10代のジョンはその教会で催されるイベントで、友人とバンドを組んでよく演奏していたそうである。

そこへある日ポールがやって来て、「自分も仲間に入れて欲しい」と申し出たのだった。


ジョンレノン17歳、ポールマッカートニー15歳の7月6日の出来事であったと言われている。

この歴史的とも言える出会いの日以来、音楽の歴史を変える程の数々の名曲を生んだ2人は、
紆余曲折はあれ、想像を超える強い絆で結ばれた関係であったことだろう。

「・・・君と出会ったのはいつごろだったかな
きっと君はこう言うだろう
何かをつかむ為に がむしゃらにギターを弾いていたよ・・・」

リバプールのあの教会は、きっと今も二人の出会いを祝福してくれていることであろう。