学術会議でスペインに行って来たムハマドが、帰国後初めてスクールの授業に出てきました。
運悪くアイスランドの火山爆発の影響で大混乱になった時期と重なり、帰国便は2日遅れとなってしまい、代金も倍額払ったとか。 おまけに飛行場もバスもホテルも大混雑で、本当に大変な思いをして帰って来た様子でした。
でも今日は、英会話の勉強をされたい御夫婦が体験レッスンに来られ、久しぶりに嬉しい時間を過ごす事ができたようです。(私も含めて)
体験レッスンが終わって、例の如く色々な事についてお話が弾みました。
その中の一部を御紹介させていただきます。
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ムハマド) あの親達はとても偉いと思います。なぜなら、子供がインターナショナルスクールに通っていて英語が話せるので、自分達も子供の英語の相手を家庭でしてあげたくて、
英語の勉強を始められるんでしょう?
私) そういう動機だったね。でも、それは日本人の親にはよくある事よ。「子供と一緒に学ぶ」とか、「子供から学ぶ」とかは、とても大事な親のあり方だと考えられているのよ。
ムハマド) シリアだったら、すぐ誰かを家庭教師のような形で雇って来て、英語の相手をさせると思います。まぁ、お金のある家庭の話ですけど。
でも、「子供と一緒に学ぶ」とか、「子供の相手をするために何かを学ぶ」とかの考え方は、あまり無いと思います。
私) そうなの? お金と言えば、日本には「親は塩を食べてでも」と言う表現があるの。「親は食べるのを我慢してでも、子供に教育を受けさせる」と言う意味よ。
2年前、ブラジルのある町を訪問した時に、そこの教育委員会の方達とお話をする機会があったの。
その時のこのお話をしたら、皆とても驚いていた。「ブラジルでは、そんな事は考えられない」と言ってた。その驚き様を見て、こっちが驚いちゃったわ。(笑)
ムハマド) 面白いですねー。シリアでは考えられますよ。僕のお祖父ちゃんは、まさにそういう人でした。
生活が苦しかったのに、私の父を含まれてますが、子供達を学校に行かせるため自分の事は我慢して、全てを子供の教育に注いだと聞いております。自分自身が学校に行けず、簡単な読み書きや計算を習っただけだったみたいで、余計にそう思ったのでしょう。
学校に行けず悔しい思いをしたからこそ、自分の子供達には何をおいても、学校に行って欲しかったのだと思います。
私) 偉いお祖父さんだったのね。日本にも昔は「寺子屋」というのがたくさんあって、庶民に「読み、書き、そろばん」と言う、基本的な教育をしてたそうよ。
ムハマド) それは、「寺」にあったのですか? シリアでも、そういう基礎的な事を習う所は「モスク」にあるんですよ!
私)へー、そうなの。その点は似てるのねー。
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*今回も日本人にとって「当たり前の事」が、「当たり前でない事」と気付かせてくれた会話でした。
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