2026年10月15日木曜日

ひとり語り~No.6

            「チェコとチャスラフスカ」


先日、チェコ出身の熊大・大学院生とお話する機会があった。
私も居合道の文化交流のお手伝いで、チェコを訪問したことがあったので、
しばらくその話で盛り上がった。

チェコと言えば、以前は「チェコスロバキア」という国であった。
チェコスロバキアと聞けばすぐ思い出す名前がある、そう「チャスラフスカ」だ!

私はふと次のように言った。
「チェコスロバキアと言えば、日本でもとても人気のあった、有名な体操選手がいましたよね。」
彼女が
1964年の東京オリンピックで、 優美で気品ある姿で見事な演技を見せて世界中の観衆を魅了したことは、私の胸にも幼い頃の遠い記憶として残っている。

すると彼女の目が光を増し、次のように語り始めたのだ。
「そうなんですよ!ベラ・チャスラフスカです。日本人の方達はチェコと言ってもどこの国かピンとこないみたいですね。でも私が『チャスラフスカがいた国です』と言うと、『あーー!』と、特にシニア層の方達が覚えておられますので嬉しいです。
東京の後のメキシコオリンピックの時は、ちょうどロシアが2度目の侵略をした時で・・・」
それを聞いて私は目を丸くして尋ねた。「え!!ロシアの2度目の侵略!?」

彼女の話をまとめてみると、チェコは1939年からスロバキアと分離され、ドイツの領土となっていた。第2次世界大戦でドイツが敗退した後は、ソ連が侵攻して来て共産陣営に組み込まれた。その時に再び「チェコスロバキア」になり、独立国家の形は保つことができたが、ソ連の支配下になってしまっていた。

なので、東京オリンピックがあった1964年は共産圏の「チェコスロバキア」として参加していた。
チャスラフスカは見事な演技で金メダル3個、銀メダル1個を取って、自国はもとより世界中の観衆の注目を集めたのだった。

しかしその後、変化が現れる。
チェコスロバキアでは次第に、自由化・民主化運動が進み(プラハの春)、それを恐れたソ連が再び軍事介入をしてきて民衆を弾圧したのだ。そのため、東京オリンピックの4年後のメキシコでオリンピックが行われた時期には、民主化は終わりを告げ、ソ連の武力支配体制になってしまっていたそうだ。

メキシコオリンピックでも、多くの金メダルを取って表彰台に上ったチャスラフスカは誇らしく自国の国旗を見上げて国歌を歌った。しかし、ソ連の国旗掲揚の時には「静かな抗議」を示したのだ。一度だけでなく、何度も。

ソ連の国旗を見上げることなく、またソ連の国家を歌うこともなく、ずっと下を向いたままで通した。 自由と平和を求める不屈の姿勢を示したのだった。

この「静かな抗議」は世界中で大きな話題となった。
影響を恐れたソ連政府は弾圧を強め、帰国後の彼女は一切のスポーツ活動、社会活動を禁止されたという。
しかし彼女はひるむことなく、表に出ない地道な活動を続けたそうだ。

その後1992年に、チェコは無事にソ連から独立した。独立して自由な国に育ったその大学院生のお話は、
メディアから流れて来るニュースとは違う「事実」そのものの何物でもないからか、とても心に迫ってくるものを感じた。
祖国を愛おしむ心、またチャスラフスカを誇りに思う気持ちが、お話のいたるところで伝わって来た。

「チャスラフスカはチェコの英雄なんです!」
と語るこの若い女性にも、国の独立と自由を勝ち取るために流された血が  受け継がれて
いるのだろう。








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